「壁の中」から

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女たちの楽園――J・G・バラード「楽園への疾走」

バラードはたまに集大成というか自己模倣というか、それまで扱ってきた素材、テーマをリミックスした作品を書く。「夢幻会社」や「近未来の神話」、「奇跡の大河」がそうだし、この「楽園への疾走」もその系列といっていいだろう。バラードの趣味がよく出ている作品群で、私はこの系列の作品がわりに好きで、今作も結構楽しく読んだ。訳書の出版順と違うが、これ以降に書かれる「コカイン・ナイト」からの作品よりはずっと楽しめた。

この小説は、バラードの趣味がほんとによくわかる道具立てで、「夢幻会社」のような幻想はないけれど、閉鎖空間、南の島、プリミティブな暴力、核、メディア、といったモチーフがすぐさま見いだせる。具体的には「コンクリート・アイランド」と「終着の浜辺」と「コカイン・ナイト」と「夢幻会社」あたりのモチーフがミックスされたような具合だ。

物語は環境保護運動のために、フランスの原爆実験場に指定されたサン・エスプリ島へと赴く船に乗る三人を描くところから始まる。四十歳のイギリス人女性医師だったドクター・バーバラ・ラファティと、十六歳の少年ニール・デンプシー、そしてバーバラに島のことを教えた寡黙な男キモの三人が、その乗組員だ。

サン・エスプリ島にはアホウドリが住んでいて、核実験から彼らを守れ、というのがバーバラたちのスローガンだ。そして少年ニールが島に上陸したところでフランス兵に足を撃たれてしまうことで、事態は大きく展開する。ニールが環境保護運動のイコンと化すことでメディアからの大きな注目を浴び、運動が盛り上がり政府当局との衝突のさなかひとりの死者を出してしまうことで、核実験場としての指定をフランス政府に取り下げさせることに成功する。

こっから妙な展開が始まっていく。ドクター・バーバラはそもそも、環境保護運動に邁進する善人というよりは、奇妙なオブセッションに駆られたバラード作品おなじみの人物で、積極的な安楽死を何件も行なったことで医師資格を剥奪されたという経歴がある。そんな彼女がアホウドリの保護を求めて運動起こすという奇妙なねじれが、後半また生きてくる。それと同時に、そんな彼女に性的に惹かれているニール少年は、核実験場、あるいは原爆にオブセッションを持っていて(バラード作品はみなこんな感じ)、そういった動機も含めてバーバラについてくる。

そんな彼らは島が核実験から解放されるとともに、その島を希少動物たちの楽園にしようというメッセージを世界に送る。そこで、この島に世界中から希少動物が運ばれてくるのだけれど、バーバラの主張する生き物の楽園ができてからのブラックな展開はかなり楽しい。妄想が現実と交錯するうちに、だんだんと現実の方が浸食されていくあたりはバラード得意の展開だろう。最初の方でニールはこう考える。

いつものように、ニールはこのエキセントリックな女性に惹かれていることを意識して、いかなる代償を払っても彼女を現実から守ってやろうと決意するのだった。
現実から守られるべきとされているのは、バーバラの不気味な妄想だ。彼女の妄想が島を支配し、狂わせていく。

以下、終盤の展開に触れているので気にする人は読まない方がいいです。

終盤、ユートピアめいた空間がだんだん狂ってくるのだけれど、そこで現われるのは訳者も指摘するように、女性原理的妄想の世界だ。「夢幻会社」ではその男性原理的妄想が批判されていたのだけれど、ここではそれをひっくり返している。バーバラはこう言っている。

最初に家畜化された動物はなんだと思う? 女よ! わたしたちはみずからを家畜化したの。でもわたしは女がもっと荒々しい素材で作られていることを知っているわ。わたしたちは意気と情熱と熱気を持っている。少なくとももっていたわ。わたしたちは残酷にも暴力的にもなることができる、それも男以上に。わたしたちは人殺しになることもできるのよ、ニール。わたしたちに用心しなさい、とても用心しなさい……
このセリフが暗示するとおり、この小説ではむしろ男こそが家畜化される。これを読むと、動物の群れにおいて、オスのボスが君臨してその周囲にメスたちが集まっているという状況は、実はメスたちの欲する子種の生産者としてオスが家畜化されているのではないか、と思わされる。男は女の望む限りにおいて生存を許容される峻厳なユートピア

一種のフェミニズムSFともいえるけれど、それを主眼にしたと言うよりは、小説全体を覆うブラックユーモアというかアイロニーの帰結として導かれたもののように見える。環境保護運動で作られたはずの島に来た希少動物たちを食料としてむさぼり喰らう島民たちとか、どんどん男が殺されていってしまう悪夢的な展開とか、果ては男の精子を産む家畜扱いにいたる展開は、荒唐無稽なブラックユーモアとしてバラードは楽しげに書いているように感じられる。テーマを設定して気負って書いているような病理社会シリーズよりはいまのところこの作品の方が私は好きだし、楽しい。


そういえば、その三部作の最終篇「Millennium People」は新潮社ではなく東京創元社から今作と同訳者で出るらしい。まあ、テクノスケープ三部作だってそれぞれ出版社違ったりしているけど、新潮社はバラードから手を引くことにしたんだろうか。カンヌの売り上げの問題か、単に翻訳権の話か。

というか、ラファティって、SF作家のラファティ以外では聞かない名前だ。なぜこれが主役の名前なのか。ニールも、デンプシーっていうのは「デンプシーロール」で割と知られた名前だけど一般的ではない感じの名前。バラードの登場人物のネーミングって、すごい妙だ。聞いたことはあるんだけれど一般的ではなくて、それがここに来るのか、みたいな独特な感じがする。


ちなみに、下がカバーをはずした状態。こっちのほうが明らかに良い感じ。というか、カバーのデザインがたんに好きではないだけだけれど。

装幀は「岩郷重力+Wonder Workz。」