「壁の中」から

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ラファティのイースターワインで悪魔が舟歌

まえに書いたとおり、ラファティの既訳長篇を読んでみた。
サンリオSF文庫の「悪魔は死んだ」、「イースターワインに到着」と、ついでに国書刊行会未来の文学シリーズ第一期最終巻の「宇宙舟歌」まで一気に読んだ。

簡潔に感想を書くと、サンリオの二つは「わけがわからない」。「宇宙舟歌」は「おもしろい」。

「悪魔は死んだ」は、非常に抽象的に言うとこの世の「絶対悪」を巡る話といえるんだけれど、さて、この物語をどうまとめたらいいのか。

悪魔は死んだ (サンリオSF文庫)

悪魔は死んだ (サンリオSF文庫)

かなりシリアスなテーマおよび展開で、ラファティに特徴的な、ブラックユーモアと残酷さのうち、残酷さの側面に傾いている。「悪」をめぐる話なので、その残酷さがもたらす背筋の凍るような冷たさが印象に残る。ちょうど真ん中あたりで物語がいったん折り返し点を迎えていて、前半部分は航海記風でわりと楽しげなのだけれど、「悪」が明確に浮上してくる後半は暗い逃避行めいてくる。

「わからない」といっても、難解で理解できないという感じではなくて、文章自体は平易だし何が起こっているのかわからないというような代物ではない。ただ、展開が飲み込めないところや、いくつもの謎が放置されたまま進んでしまい最後まで解決されないなんてことはしきりにあるので、そういう意味では困惑させられる。それに、最後まで読んでも、話の中心にあるものがつかめない感じがする。その点、解説で訳者がキリスト教の側面から解説して見せているのは非常に参考になる。それでも釈然としない感じが強く残る。

イースターワインに到着 (サンリオSF文庫)

イースターワインに到着 (サンリオSF文庫)

それは「イースターワインに到着」でも同じだ。これはラファティ読者にはおなじみの「不純粋科学研究所」シリーズの面々が作り上げた意識を持ったコンピューター「クティステック・マシーン」“エピクト”が語る自伝という体裁。これはユーモアの方に傾いてはいるけれど、やはりシリアスなテーマを据えているようで、一筋縄ではいかない手強さがある。ただ、研究所の面々や事件を語るときの筆致はさすがラファティで、平気で生者と一緒に登場してくる死人がいたり、人間を食うガニメデ人(だったか?)を登場させたと思ったらわりと簡単にスルーしてみたり、妙なエピソードには事欠かない。それは「悪魔は死んだ」もそんなに変わらない。

それでも、一言で言うならこの二長篇は「訳がわからない」と評するほかない。そんな不思議な作品。

宇宙舟歌 (未来の文学)

宇宙舟歌 (未来の文学)

で、「宇宙舟歌」は「地球礁」「トマス・モアの大冒険 パスト・マスター」と三冊同時に刊行して長篇デビューしたときの作品で、「パスト・マスター」はどうだったか忘れたけれど、これは「地球礁」とならんでとても読みやすい。

オデュッセイア」(私は未読)のラファティによる再話と言われたりするように、基本プロットは単純なので、各エピソードごとの奇怪でユーモラスな展開を素直に楽しむことができる。レムの「泰平ヨン」シリーズに近い印象。

たとえば第一話はロトパゴイという星にたどり着いた主人公ロードストラムおよびその一行が、あまりにも居心地のいい昼下がりが永遠に続く場所で迎える危機を語る。ロトパゴイは「いっさいの苦痛抜きで完全な快楽を味わえる世界」で、ほとんどブリューゲルの「怠け者の天国」の世界だ。

これがブリューゲル由来なのか「オデュッセイア」由来なのかはよくわからないが、ラファティのアクセントはむしろ、そこで怠けっぱなしになっているところに訪れる生命の危機の方にある。

話が進むとどうやら、ここで安楽の限りを尽くしているうちに、最後には「恍惚の安逸チップス」なるものに調理されて食われてしまうらしいことがわかってくる。ロードストラムはその以前は人であったらしいチップスを食べながらうまいうまいと喜んでいるのだけれど、怠惰に安楽をむさぼっているところなので、食われてしまうような危機が自分に迫っていることがわからない。

「もう遅い」とディープ・ジョン。「明日にはみんなで“恍惚の益荒男ロードストラムチップス”を食べるだろう。そいつはさぞかし荒々しい味がするだろう。でも、そんなことよりおいらは家に帰りたい」
「なんだか俺の命はひどい危険にさらされている気がするぞ」ロードストラムはうつらうつらしながら不安げに呻いた。
「あんたの命は、今この瞬間、いまだかつてなかったような危険にさらされているよ」
「宇宙舟歌」24P
この、すっとぼけた黒いユーモアがおもしろい。というか、全体にこの作品では人がよく喰われる。「オデュッセイアからしてそうなのか、ラファティ流のキッツイユーモアなのかは判断しきれないが、この作品は全体にこういった軽妙で黒い、ラファティ独特の楽しい語りが楽しめる作品で、短篇しか読んでいないという読者に勧めるには今のところ最適なラファティ長編なんではないかな、と思う。

ついでにSFマガジンラファティ追悼特集号収載の短篇も読んでみた。「ファニー・フィンガーズ」はラファティ得意のアンファンテリブルものだけれど、ラストの展開が非常に哀しげなのが意外。「知恵熱の季節」は「アウストロと何でも知ってる連中」シリーズというものに分類されるらしく、天才「アウストラロピテクス」の少年が登場する。軽快でユーモラスな非常にラファティらしい作品。「月の裏側」はよくできた短篇という感じ。「何台の馬車が?」は、ラファティを読んでいるとしきりにぶちあたる「なんだかわからない」感が強い作品で、ほんとうに「なんだかよくわからない」。単なる冗談のようでもあり、何か深遠なものを提示しているようでもないでもない……?。「すべての陸地ふたたび溢れいずるとき」、「巨馬の国」っぽくもあるけれど、ラストは聖書の「東方の三博士」ネタだろうか。これも不思議な印象を残す短篇。

ラファティには単行本未収録の短篇が既訳のあるものだけでも相当数残っているらしいので、是非とも新しい短編集を編んでほしい。「素顔のユリーマ」は最近「ロボットオペラ」という瀬名秀明編集のアンソロジーに収録されているのを見たけれど、あんなでかくて高い本をラファティのみ目当てでは買えやしない。河出書房の「奇想コレクション」なんかラファティにぴったりのシリーズだと思うのだけれど、全然そういう気配がないのはなぜだろう。

追記
ラファティ追悼特集号についての対談。サンリオの二長篇についての感想がやっぱり、という感じ。
リンク先のラファティファンサイトも楽しい。
http://www.sffantasy.com/magazine/bookreview/020801.shtml