「壁の中」から

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四冊の「日本語の歴史」

●山口仲美「日本語の歴史」岩波新書

日本語の歴史 (岩波新書)

日本語の歴史 (岩波新書)

前回の「日本書紀の謎を解く」を読んで、上代日本語とか日本語の歴史に興味が出てきたので、手軽に一冊読んでみた。簡潔かついろいろなトリビアを取り込んで面白い読み物として仕上げられていて、なかなか良い。前回書いた、上代日本語の八十七の音節だとか、倭習の強い漢文の話、そして日本語が文字においては漢字に全面的に依存して出来た言語(カタカナもひらがなも漢字を元にしている)であることなど、古代のことから近現代まで、ダイジェスト風に歴史をたどることができる。

ネットのレビューなどでは、鎌倉室町時代の、係り結びの消滅と主格を表す助詞の活用による、論理的な文章への変化を叙述したところが評判がよい。日本語が非論理的なのではなく、論理的に整備された言語を論理的に使えないのが問題だということで、まあ、こういった日本語の非論理性を否定する議論そのものはずいぶん前からあるものなので、目新しさはないけれど、情緒を強調する係り結びからの変化として歴史的にとらえたところは面白い。

しかし、新書なため、やはり物足りない部分も多い。

●「日本語の歴史」平凡社ライブラリー

日本語の歴史1 民族のことばの誕生 (平凡社ライブラリー)

日本語の歴史1 民族のことばの誕生 (平凡社ライブラリー)

そこで、折よく刊行が始まっていた大冊のこの「日本語の歴史」に手を出すことにした。1965年に完結を見たシリーズで、上記新書の参考文献としても挙げられていて伝説的名著と言われていたらしい。各四、五百頁で全七巻と小島信夫の「別れる理由」くらい、あるいは「失われた時を求めて」の半分くらい長いものだけれど、とりあえず三巻まで通読。もっとも内容をきちんと把握できている自信はまるでない。やはり内容が濃いうえにあまり手を出してこなかったジャンルなので。なお、本来はこれに「言語史研究入門」という方法論的なことを扱ったらしい別巻があり、全八巻だったのだけれど、平凡社ライブラリー版では刊行予定にない。どうせなら出せばいいのに。

このシリーズ、第一巻が、日本語の歴史は日本民族の歴史である、として、日本の始まりから話が始まるのが特徴。歴史学、考古学、人類学などの学問を動員して、まずは日本民族がどこから来たかを論じる。執筆に江上波夫が入っていて、騎馬民族説に結構な頁を割いているところなどいまにしてみれば古くなってしまった部分だけれど、紹介しつつも学説そのものについてはそれに依存するわけではなく、きちんと保留して論を進めている(これを読むと、騎馬民族説が戦後歴史学に与えたインパクトの大きさがわかる)。

一巻はそのまま、日本列島の起源から、日本語起源論、系統論を経て、文字以前の原初日本語の話へと至る。様々な知見が満載だけれど、初学者に優しい書き方とは言えない部分が多いので、よくわからない箇所も散在している印象。

そういえば、この巻には、古代日本人について、人種学、というか形質人類学、というのか、そういった視点から見た日本人の特質について論じている部分がある。そこでは、日本人の骨格にかんする調査が紹介されていて、それによると現代日本人は、畿内型と東北・裏日本型に分類することができるとされ、また、東北型はアイヌに近く、畿内型は朝鮮系に近いという。そして、もっとも代表的な畿内人は、東北型よりも朝鮮人に近いらしい。

これは、1949年から四年間、全国町村別に同一基準で測定された五万人を超えるデータに基づいて、小浜基次によって報告されたものらしい。この話、以前網野善彦の対談集で網野が発言していて(確か小熊英二との対談だったので、いまは小熊の対談集で読めるはず)、そのときは特に根拠も提示されずに語られていたので、排外主義的ナショナリズムに対して持ち出すには確かに面白すぎる話だけれど、ちょっとトンデモ臭いし、突っ込まれる隙になりゃしないかと思っていたのだけれど、どうも、網野はこの報告をもとに発言していたみたいだ。この調査と結論について、その後なんか議論があったかどうかは知らないが、骨格から見た調査では日本人の朝鮮系との近親性が確認されるというのは面白い。

知人は、朝鮮韓国にレイシズム発言を繰り返す奴に、おまえみたいな顔のことを朝鮮顔っつうんだよ、と言ったらぶち切れられて喧嘩になったらしい。爆笑ですね。

日本語の歴史2 (平凡社ライブラリー)

日本語の歴史2 (平凡社ライブラリー)

また、二巻は漢字伝来を扱って、非常に面白い巻になっている。しかしそこはこのシリーズ、漢字だけではなく、文字そのものの起源から話が始まる壮大さで、シャンポリオンの話などを盛り込んで、文字史の概説から漢字の話へ移行する。また、日本に漢字が輸入されるという国内的な事情のみではなく、朝鮮、ヴェトナムまでを包含する漢字文化圏について包括的な視点から周辺諸国が漢字の影響にさらされる様を描き出している。たとえば朝鮮では、なんとか漢字を用いて民族の言葉を表そうという努力がなされたけれど(「吏読」、「吐」、という方法があり、万葉仮名のようなものもあったらしい)、ついには漢字を放棄し、1443年「諺文(オンモン)」という文字を作り出した。これは漢字の原理を踏襲しつつ、アルファベットなどの表音性を導入して作られたものらしい。しかも成立当初は慕華思想が根強く、漢字を放棄するなどとんでもないことだと猛反発をくらい、実際に民族の文字として根付くには第二次大戦後の日本の植民地から解放されるのを待たなければならなかったという。いまではハングル(大いなる文字)と呼ばれている。ハングル Wikipedia Wikipediaによると、ハングル公布が1446年となっていて、この本の記述と三年ずれてる。

ここには、日本とは違う漢字受容の歴史が語られている。開音節(音節が母音で終わる)のため、音節数が限られる日本語と、閉音節もあり音節数が多い朝鮮語とでは漢字との親和性が異なり、このような歴史をたどったということらしい。朝鮮以外にも、西夏文字契丹文字など、中国周辺国での文字に関しても語られていて面白い。いくつかの国や民族では、漢字を基にして新しく造字したり(日本にも国字がある)した歴史が語られ興味深い。

また、ここで著者は、表音文字表意文字という二分法に疑問を呈している。そして、漢字は正しくは、「表語文字」というべきだと述べている。これはなかなか得心のいく意見だと思った。

前回の書紀成立論にまつわる余談だけれど、この巻では、書紀の編纂メンバーとして続守言が関わっている可能性が指摘されている。まあ、漢文で書かれた書紀に、当時渡来人として漢文の知識を豊富に持っていただろう人物が関わっているだろうという推測自体は、しごく蓋然性の高いものとして考えられていたのだろう。森博達の議論はそれに裏付けを与えた形になるのか。

三巻では日本語の言語芸術の歴史が語られる。紀貫之、「竹取物語」、「源氏物語」、などなどが出てくるけれど、私はこれらの文学にほとんど触れていないので、いまいち具体的に記述が理解できないことが多かった。もうちょっと論じているものの本文を引用してもらえるとよかったのだけれど。

また、文章がなかなかの名調子でさくさく読んでいくだけでも面白かったりする。項目ごとに違う執筆者の書いたものを、編集委員がリライトするという形で書かれたらしいのだけれど、ある項目は特に文章に勢いがあるな、と感じたりできて面白い。隔月刊行らしいのでゆっくり読んでいこうかと。私としては一巻の解説に語られている、六巻あたりの近現代あたりのことが面白そうだと期待している。