「壁の中」から

むかしblogtribeにあったやつのアーカイブ

近現代史と中世史についての二冊

また間が空いてしまいました。三ヶ月ぶり。感想を書きたい本が溜まってしまっているのに加えて笙野頼子関連も「成田参拝」や「現代思想」などいくつも新しいものが出ていてそっちも溜まってしまっています。以下に紹介する本なんて、十月には読んでいた本だったりするのですが、記事としてまとまったものを書くのが遅れに遅れて、というか、一冊に分量を割きすぎているせいでしょう。暇な時間がとりづらくなってしまって書く時間がないです。

というか、笙野頼子から脱線して日本史、あるいは日本語史をつまみ食いしすぎている気がします。平凡社ライブラリーの大冊「日本語の歴史」は面白くて、三巻目に突入です。たぶん全部読みます。そんなことしてるから三ヶ月ぶりになってしまうのですが。


海野弘「陰謀と幻想の大アジア」平凡社

陰謀と幻想の大アジア

陰謀と幻想の大アジア

海野弘には「陰謀の世界史」という大著があるけれど、この本はそのスピンアウトとして、日本における大アジア主義について書いている。私は「世界史」の方は読んでいないけれど、知人が部屋に置いていったこれを読んでみたところ結構面白い。記述そのものはあまり踏み込んだものではなく、調べながら書いている感じがあるのだけれど、逆に大アジア主義とか戦前の右翼がどうとかの話に疎い私にはちょうどよいくらいだったようだ。

著者ははじめにこう述べている。

満州国は、日本が海外に建設したはじめての国であった。日本は満州国によってはじめて世界を考えるようになった。そこで世界をどのようにとらえるか、世界とどのように対決するかが迫られ、さまざまな説、陰謀史観の温床になったのであった。
P10
これに先立ち、著者は、満州にはヒトラーに追われたユダヤ人を受け入れ、それによってアメリカの資本を満州に出資させ、繁栄させようという計画があったことにふれる。「フグ計画」と呼ばれたそれはアメリカの拒否によって頓挫するけれど、日本はそこではじめて「ユダヤ」と関わることになったという。

ユダヤのみならず、イスラムなどとの関わりもまた、満州を起点にしていると著者は言う。満州が、大陸的なものとのつながりの重要な起点になったという。本書で著者が重要なキーワードとして挙げるもののいくつか、日猶同祖論、アルタイ語起源論、大東亜共栄圏騎馬民族説などは、日本とアジアとのつながりを強く意識したものだ。

しかし、このうちの多くの説は戦後臭いものに蓋をするように省みられなくなってしまう。これらの歴史の記憶が失われてしまったことが、陰謀、幻想として地下に息づくことになる。著者は次のように述べる。

日本近代史の<満州>から<大東亜共栄圏>にいたる十のセオリーを陰謀史観として読み直したのは、それらを否定するのではなく、それらが今も生きていて、わくわくするような面白さを持っているからなのだ。それはあやしげであり、陰謀的であるとともに、私たちを歴史のはるかな夢へと連れ出していく。
P281
だからこそ、それらのセオリーを読み直し、歴史に位置付け直さなければならないのだろう。戦時を東京裁判によって葬ってしまうことで、アジアとの結びつきもまた失われてしまった、と著者は言う。また、曲がりなりにも戦前の日本人が持っていた世界的想像力が失われてしまい、目の前の小さい穴を掘るだけになってしまったのだとも。

この本はそうした、戦前戦中と戦後との断絶を描き出している。歴史が途切れてしまっているために、戦前のセオリーが妙な形で復活したり、大東亜共栄圏などの自大主義な理論を敬遠するあまり矮小な世界だけに閉じこもってしまったりしていると嘆いている。

私が特に興味深く思ったのは日本語の起源と、騎馬民族説を扱った部分だ。

日本語の起源の章では、大野晋タミル語起源説があっさりと否定され、アメリカや韓国の研究を参照して最近の成果を紹介している。(大野のはそもそも方法論的に問題外、というのが有力なようだ。それはここの大野批判1批判2批判3などを見ると何となくわかる)韓国での最新の研究では、失われた言葉である高句麗語の復元が進み、どうやらそれが朝鮮語と日本語とをつなぐリンクであるという説があるそうだ。宋敏の「韓国語と日本語のあいだ」によると、「高句麗語は日本語の疎遠性を南方系の要素として解決しようとする態度をほとんど無力にしうるほど言語的に日本に近い」そうだ。これはなかなか面白い。ただ、この説の学術的評価はいかなるものかはよくわからない。日本の古代はどう考えても中国や朝鮮半島との関係が密なはずなので、オーストロネシアとかアルタイ語族などと直接関連づけるよりははるかに説得的なようにも素人目にはみえるけれど。

騎馬民族の章で面白いのは、学説的にはいまや過去のものとして見られている江上波夫のこの説に対して海野が提出している批判だ。騎馬民族説とは、ユーラシアからきた騎馬民族が四世紀ごろに日本に侵入、征服し、それがいまの天皇家の祖先である、という説だ。考古学的にも歴史学的にもほとんど根拠のない説といわれるけれど、確かに、皇国史観に対するアンチテーゼとしては面白くはあると思う。しかし海野は、江上波夫が近代化は騎馬民族にしかできない、という騎馬民族、農耕民族の二元論を唱えていることを指摘する。日本は騎馬民族系なので近代化できたが、中国は農耕民族なので近代化はできない、と江上は言う。これは一種の差別主義だ。そして騎馬民族説が征服者の視点からの理論であることを指摘し、皇国史観に対するものとして提出された騎馬民族説が実際は征服者の視点から説かれたものであり、近代化できない農耕民族を優秀な騎馬民族たる日本が近代化させてやるという形で、日本の帝国主義を正当化することに、無意識にであれ加担していると批判する。

幾つかの本では騎馬民族説については、過去の学説か、あるいは面白いが賛同できない、というような言及ばかりだったけれど、ここでの批判はかなり考えさせられるものがある。海野は同時に、戦後に提出された騎馬民族説が戦前のモンゴルで発想されたことを指摘している。

戦後、戦前を臭いものに蓋をするようにして、正面から総括することが出来なかったためか、戦前的なものがにわかに浮上してくる。個人的に驚いたのは、ネットでの中国やアジアの国々に対するヘイトスピーチにおいて、騎馬民族説において江上が見せたのと同じ差別主義的言説がいまも現役だったりすることだ。

黒田基樹「百姓から見た戦国大名ちくま新書

百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)

百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)

ほんとうは藤木久志「戦国の作法 村の紛争解決」(なんて面白そうなタイトルだろう)という本を読みたかったのだけれど、もうずっと品切れらしく、そんなおり本書が出ているのを知った。戦国時代、というと支配階級である武将の話ばかりで、直接戦争に関わらない人たちがどのような暮らしを送っていたか、ということはあまり話題にならないしよくわからない。私は戦国武将についてあんまり興味がなくて(全然知らない)、むしろ当時の日常的な生活のあり方がどうだったのかを知りたかったので、百姓を視点に据えた本書の叙述は非常に興味深く読めた。

●戦争と飢饉の時代

この本ではまず、戦国時代とは戦争と飢饉の時代であることを強調する。戦争と飢饉が慢性化し日常となった時代だという。そして、戦争と飢饉のなかで窮乏にあえぐ人々は、当然その改善を大名に要求するわけで、その世直しの声が大きくなって実際に大名の代替わりの契機とすらなることを史料から指摘してみせる。

また、武田信玄の父に対するクーデターについて、当時の史料からクーデター時に甲斐国はかなりの飢饉であったこと、父信虎については動物すらも悩ます悪政と呼ばれ、信玄が救世主扱いすらされており、クーデター後に信虎派の反撃がまったくなかったことなどから、信玄の行動は窮乏に陥った甲斐国の民衆の強い世直しの声に押されたものだっただろうことを明らかにしている。むしろ、ここで世直しの声に従わなければ武田氏の存続そのものにかかわる事態だったのではないかと言う。

つまり、大名とはいってもやはり生産者として国を支える農民、民衆の声を無視できるわけではない、という実に当たり前のことが指摘されるのだけれど、これがなかなか新鮮だったりする。やはり大名、戦国時代などには支配者である大名とその下で年貢の重圧に苛まれる農民、といったようなわりあい一面的なイメージがあったのだけれど、本書はそういった印象を具体的な事例に基づいて丁寧にかつ鮮やかにひっくり返して見せる。

話を戻すが、戦国時代の飢饉というのは江戸後期で大飢饉と呼ばれたようなものがほとんど日常となっていたほどだったという。作物の収穫の端境期ではつねに人の死亡率が上昇し、日々生きるか死ぬかの瀬戸際にあった。そしてさらに、文字通り戦争がたびたび起こっていた内戦の時代でもあるのだけれど、戦争はどこか空中で行われるわけではなく、常にどこかで誰かの領地において戦われていたということを忘れてはならない。ひらたくいえば、どこかに攻め込むということは同時にその領地で破壊行為を行い、作物を奪取する略奪と表裏一体だったということだ。

さらに、足軽たちが戦争に参加することには、端境期に出稼ぎに出ることによる村の口減らしと、侵攻先での略奪で財を得るという一石二鳥の意味もあった。これは大名の戦争にも言える。つまり、収穫期に敵地に侵攻し作物を略奪することや、端境期に人員を送り込んで領内での口減らしを図ることなどが、そもそも大名の戦争の理由にすらなっていたのではないか、と推測される。

飢饉での食糧不足から敵地に侵攻、略奪し、略奪された側は耕地や村を荒らされ、民衆を奴隷にされたり奴隷商人に売り飛ばされ、作物や耕作具を奪われたり破壊されたりすることによって、また飢饉に陥る。戦国時代とはこのような悪循環に見舞われた過酷な時代だった。これがこの著者の提示する戦国時代像だ。

●生存のための共同体

では、人々はその過酷な時代をどうやって生き抜いていったのか。そこで注目されるのが村だ。村とは言っても、自然に形成された人々が集まり住んでいるところ、というものとは違い、領地の占有、構成員の認定、構成員に対する徴税、立法、警察等諸権力の行使を行い、私権を制限する一種の公権力として存在する政治的共同体として形成された村だ。さらには当時の人々は皆武器を持っており、対外的に武力を行使することもあった。そして、村の行動については構成員が全員参加する寄合によって決定される。

これはすでに小国家とも呼ぶべき存在だ。なぜこのような強固な政治的共同体が形成されたかについて、著者は以下のように書いている。

ちょっとした災害によってもたちまち飢餓に陥ってしまうような状況であったため、それこそ災害のたびごとに、農業用水や肥料・飼料になる草木の採取など、生産のための用益をめぐってしばしば争いが生じていた。しかも中世の民衆は、日常的に帯刀していたから、争いは武力をともない、さらに親類・縁者を巻き込んでたちまち集団同士の争いに展開した。
P64
用益をめぐる日常的な対立が、村同士の関係に多大な緊張をもたらし、ために村それ自体が抗争と防衛のための組織化を必要とした訳だ。

そして、しばしば抗争は周囲の村々を巻き込んで大規模な「合戦」(村同士の抗争もまた合戦と呼ばれた)となっていくことがあった。用益をめぐるいさかいが抗争となり、兵具を用いた抗争に発展していくなかで、同盟関係にある村々へ「合力」を求めるためだ。面白いのはこの合力はただで行われるわけではなく、かなりの額の報酬が支払われている。報酬は村の数年分の年貢に匹敵する額にもなり、借金でまかって何年かかけて返済していく。つまり、用益が生存のためのものである以上、相当の負担を支払っても守らねばならないものだったということだと著者はいう。

だからこそ、合戦は拡大していく。当時の村同士の抗争のなかには土地の領主が調停に現れたりする例が見られる。つまり、領主でなければ仲裁不能なまでに抗争が拡大することがあったということらしい。領主にとっても年貢という収入源であるだけことをなおざりにはできない。だから、中世における「領主同士の合戦と見られたものの根底には、こうした村同士の用益をめぐる紛争があった可能性は、限りなく高い」と著者は論じている。


●大名と村の契約

村にとって用益が、村同士の抗争を引き起こすほど重要だったように、領国を治める大名にも、その国の成り立ちにとって、村がきわめて大きな意味を持っていた。村はすなわち年貢が生産される財源であり、村が豊かであることが同時に国が豊かであることに繋がる。大名もそれは認識していて、農民からの搾取に他ならない華美を戒め、倹約を勧めることが国を豊かにし、戦争にも勝つことになる、と言っている。

年貢の収受、公事の割り当て、法令の施行など、その領国支配において大名は個々の村人と直接交渉するのでなしに、すべて村単位を相手にしており、これを「村請」と呼ぶ。

この「村請」は、村と大名という法人格を持つもの同士の契約だったと著者は言う。支配する側とされる側という社会的、身分的な格差があったものの、お互いが主体となり、互いに相手に対して義務を負う双務的な社会契約だったという。

領主は、村の耕作地としての整備や、資金の貸し付け等を果たすことで、年貢を取り立てる資格を得、また抗争の折りには「合力」し、村の存立、安穏、平和を保障することが課せられる。

対して村は、年貢や公事などの税金を負担する。

この関係は契約である以上、絶対ではなく、たとえば領主が村を防衛しきれなかった場合、村は以前の領主を失格と判断し、侵攻してきたより強い領主の支配下に入り、以前の契約関係を一方的に破棄したりした。また、以下のようなストライキを行うこともあったという。

不作が生じた場合には、相当分の年貢等の減免を要求するが、それが容易に認められない場合、実力で抗議した。村ぐるみで、山野などに逃げ込み、年貢の納入や耕作を放棄した。こうした実力行使を「逃散(ちょうさん)」といい、中世を通じて百姓の対領主闘争の基本的な方法であった。
137
適切な対応をとらなければ農民はよそに移動したり、没落したりして、不作発生し、年貢などの収取が滞り、国の存立の危機に瀕する。

国にとっても百姓たちの村の豊かさを維持することが重要であり、それなくして大名自身の安寧もなかった。そのような社会状況のなかでは、上記のごとき領主と村との契約はきわめて大きな意味を持っていたのだろう。


この本が面白いのは、この時代における具体的生存の困難さという前提から、生きるための即物的な必要性の点から、当時の社会のダイナミクスを見ていくという視点だ。飢えた農民の声によって代替わりを余儀なくされたり、飢餓の時期に他国へ略奪に行く戦国大名、生存のために大規模な紛争まで起こす武装した村々等、即物的な俗っぷりが興味深いことこの上ない。

また、後半では戦国時代の地域国家を、御国のための徴用や法制度などの観点から国民国家の原形として見ていくなど、「国家」という視点からも非常に面白い。そこでもやはり即物的な生活に根ざす、経済的な視点があり、おそらくタイトルの「百姓」とはそうした生活にまつわる観点に由来しているのだろう。

戦国時代、人々の日常的な生活はどうだったのか、ということについて、きわめて具体的な生活、経済の観点から論述されていて、非常に興味深い内容だった。歴史はやはり、当時において人々の生活や行動がどういうものだったのかということを知るのが面白い。そこでは昔の人はこうだったのか、というのを知るのとともに、昔からこうだったのか、というのもまたわかる。

法、国家という概念や、「逃散」に見られる労働と生活という視点は、いまでもなお重要な問題であり、それが百姓という生活の起点の場から眺められている本書の記述は様々な意味で現代においても示唆的だ。非常に面白い本です。この本で多く参照されている藤木久志氏や蔵持重裕氏の仕事もそのうち読んでみたいと思う、そのうち。

後半の分国法や喧嘩両成敗法については以下で紹介した「喧嘩両成敗の誕生」も併せて読むと良いかと。
http://inthewall.blogtribe.org/entry6841f1a338b566d629a8896f70af1839.html