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牧野信一の“ギリシャ”への旅

父を売る子・心象風景 (講談社文芸文庫)

父を売る子・心象風景 (講談社文芸文庫)

牧野信一の本
いま、牧野信一を読もうとすれば選択肢は限られてくる。上掲の文芸文庫のものは現在品切れで、文庫で読めるものは岩波文庫だけだし、その他はどれも高価な単行本かあるいは全集しかない。あるいは「日本幻想文学集成 15 風媒結婚」でもいいかも知れないが、収録作品の大半は文庫と被っていて割高感は残る。いいシリーズだけれども。

とりあえず私が読んだのは、岩波文庫の「ゼーロン・淡雪 他十一篇」、文芸文庫「父を売る子・心象風景」、福武文庫「バラルダ物語」の三種のみ。これらに入っているものは、重複を整理すると薄めの文庫二冊程度で収まる分量だと思う。
ゼーロン・淡雪 他十一篇 (岩波文庫) バラルダ物語 (福武文庫)

いま手に入る(はずの)岩波文庫版は、ギリシャ牧野を重視しつつエッセイも収録したなかなかバラエティに富む編集で、はじめて読むにはうってつけなのではないかと思う。

収録作品一覧。
「吊篭と月光と」
「ゼーロン」
酒盗人」
「鬼の門」
泉岳寺附近」
「天狗洞食客記」
「夜見の巻(「わが昆虫採集記」の一節)」
「繰舟で往く家」
「鬼涙村」
「淡雪」
「文学とは何ぞや」
「気狂い師匠」
「文学的自叙伝」

前回幾つかの作品を取り上げて長々書いたので、今回は軽い紹介だけ。

「ゼーロン」はギリシャ牧野時代の代表的短篇で、「酒盗人」は前述の通りの奇天烈な怪作、「鬼の門」は嵐の夜、風に吹き飛ばされないように、村長(だったか)と鎧を奪い合う話で、「泉岳寺付近」では狡賢い子供に引っかき回され、「天狗洞食客記」はある道場に来た男が主に勝手に見込まれ、自分の意と沿わぬ展開に巻き込まれる虚構性の高い一篇、「夜見の巻」はゼーロンとの交歓が描かれる暖かみのある話、「繰舟で往く家」は川の両岸に離れた男女の淡い恋愛小説、「鬼涙村」は、牧野の短篇集には必ず収録される、土俗的なリンチの風習におそれを抱く男の話、「淡雪」は子供同士の関係を書いた、自伝的(?)な一篇。

「ゼーロン」「酒盗人」「天狗洞食客記」「夜見の巻」「鬼涙村」あたりが特にいい。エッセイは「気狂い師匠」と「文学的自叙伝」が面白い。

福武文庫「バラルダ物語」は牧野信一を文庫で刊行した三種のなかでも最初のもの。ギリシャ牧野に的を絞っている。簡単な年譜がついているなど内容は充実している。ただ、岩波の短篇集に一月先駆けて刊行されたものの、ほとんど同時期の出版であり、かつギリシャ牧野重視という編集方針も被っているため、内容が半分被っている。そのうえ、福武書店の出版事業撤退により絶版。いま現行なのは岩波文庫版だけということになると、この本の価値は総体的に減じてしまう。
ここだけで読めるのは「西部劇通信」「鱗雲」「バラルダ物語」「月あかり」である。どれも面白いものではある。

文芸文庫「父を売る子・心象風景」は私小説ものを多く収録した、文芸文庫らしい編集がされていて、面白さの点からは落ちるが、興味深い作品が入っている。島崎藤村に認められた「爪」、家庭内の諍いを書いた「熱海へ」、小島信夫が父の三部作と呼ぶ「スプリングコート」「父を売る子」「父の百ヵ日前後」。「ゼーロン」の作中で主人公が沼に捨てようとするマキノ氏像の制作過程を書いた「心象風景」、他に「裸虫抄」「熱海線私語」が、他と被っていない収録作。
「爪」は、密かに思いを抱いている従姉妹に、自分は命にかかわる病にかかっているのだと吹聴して、なんとか気を引こうという主人公の滑稽なさまを短くスケッチしていて、なかなか面白い。父三部作では「父の百ヵ日前後」が暗いものの印象深い。

とりあえず文庫で読めるのは以上。他に武田信明編の「牧野信一作品集」があるが高い(現物を見たことがない)。これなら頑張って全集を買うかな。沖積舎からは当時の刊本を復刻したものも出ているがこれも高い。

こういった本の刊行時期を見てみると、すべて1990年以降の出版であることがわかる。牧野信一著作権消滅が1986年だから、それから四年後に怒濤の刊行ラッシュがあったことになる。ここら辺でおそらくギリシャ牧野の再評価の気運が高まったのだろうか。だとすれば、どうしてだろうか。不思議だ。

福武と岩波の短篇集が一月違いで出版され、沖積舎から「鬼涙村」の初版復刻が岩波と同じ11月。文芸文庫の短篇集と、沖積舎の復刻シリーズ第二弾「酒盗人」と武田編「牧野信一作品集」が1993年にどっと出ている。それから十年、新版の全集は出たが普及版といえるようなものは出ていない。

ここでひとつ、新版全集を出版した筑摩書房から、文庫で牧野信一集成みたいなものを出して欲しいものだ。分厚い奴二巻か三巻あれば、代表作を網羅してなお、これまで文庫で読めなかったものもたくさん入れられると思うのだけれど(尾崎翠集成みたいな感じで)。いまそんなのが出せるのは筑摩書房しかないだろうし。

閑話休題、以下、牧野信一の文章が読めるサイトへ。

リンク

青空文庫「牧野信一」
城ヶ島の春」「ゼーロン」「痴日」「文学的自叙伝」「緑の軍港」「余話 秘められた箱」のいまのところ六編の小説及びエッセイが公開されている。

ひつじ書房ホームページ内、「ひつじ文庫」
「西瓜喰う人」とその解説が読める。

牧野信一生誕百年記念ホームページ「続・西部劇通信」詳細な年譜、新版全集の内容(欲しい!)、幾つかの小文が読める。


●マキノ氏の死

以下、年譜などを見て適当に纏めてみた。

全集を編集した宇野は牧野より五歳年上である。牧野は1896年小田原に生まれるが、彼が一歳のころ父久雄は単身渡米し、高校で学んだ後、米国海軍に勤務。牧野は父が外国から送ってくる手紙や写真、漫画雑誌、物語本、時計、望遠鏡などの珍しい品物に親しんでいたようだ。そして二十三歳で書いた「爪」が島崎藤村に認められ文壇デビュー。大正年間に書いたものはおおよそ回想記風、父について、母についてのものであり、特に母親物は、「母親攻撃を主とした陰湿な作風」であったらしい(母親小説はほとんど文庫に入っていないので読んでない)。この間、下谷区上野桜木町にある宇野浩二が住んでいた借家を、葛西善蔵の仲介で借り受けたりしている(とよく年譜には書かれているが、二件隣に越してきたのだと宇野は書いている)。

その後昭和二年頃、小田原に妻子共に帰郷する。そのころから幻想的色彩が出てくるようになり、「西瓜喰う人」や「鱗雲」などのギリシャ牧野の始点とも言える作品を書く。それから昭和七年頃までが、ギリシャ牧野の最盛期であり、牧野が作家として最も活躍した時期でもあった。七年頃からは神経衰弱の傾向が見えだし、作風にも暗い不安が現れてくるようになる。

昭和十年、牧野自身の神経衰弱の昂進に加え、妻にも神経衰弱の傾向が見えだし、同年出版したポーの「ユリイカ」を共訳した小川和夫と妻との失踪事件などがあり、妻子と別居。翌1936年、自殺。(ここまで、福武文庫「バラルダ物語」の年譜などを参照)

独断的作家論 (講談社文芸文庫)

独断的作家論 (講談社文芸文庫)

この牧野の自殺の顛末については、宇野浩二が「独断的作家論」所収の、牧野の一生を辿った「文芸よもやま談義」で(まるで見てきたように)書いている。友人も来ず、息子英雄(後、戦死)は東京の学校の方がいいので小田原に転校するのはイヤだといい、叔父もまた仕事に出、母も自分を無視し、妻も帰ってこず、女中以外だれも家にない時に納戸で梁から兵児帯をぶら下げて縊死していたという。この、だんだんと死が近づいてくる状況を、細かく宇野は書いている。友人との会話で自殺や死を口にし出したり、子に対して首つりの真似をする姿である。

宇野の「文芸よもやま談義」は、加能作次郎の一生、葛西善蔵の一生、牧野信一の一生、この三章仕立てで書かれていて、宇野よりも早死にしてしまった愛惜する作家たちを辿り直す文章のようだ。私は牧野の部分しか読んでいないが、牧野との生前の交流や、彼の人間性などについての観察は興味深い。年譜などではたどれない部分についてかなりのことを知ることができる。

これを読むと、牧野が、坂口安吾河上徹太郎小林秀雄などを見出したということがわかり興味深い。小林と河上はそれぞれ牧野讃ともいえる文章を書いているし、安吾は牧野の死を扱った「オモチャ箱」という短篇があるらしい(が、私は未読)。ちなみに、宇野も「夢のかよひ路」という牧野をモデルにした小説を牧野の死後に書いている。


牧野信一讃その他

牧野信一については、上記の宇野浩二のものをはじめ幾人かの文章を読んだ。少し紹介したい。

文學大概 (中公文庫)

文學大概 (中公文庫)

石川淳「文學大概」所収「牧野信一」は冒頭、「牧野信一氏の死はまさしくわたしの血管の中での事件に相違ない」という名文句からはじまる追悼文。さんざん引用されるこの文章は、石川淳牧野信一を憧れの眼で見ていたということを伝えるもので、リアリズムに縛られない奔放な小説を書いたもの同士の繋がりが興味深い。石川淳の文章としてはまとまりがあまりなく、おなじ追悼文としては「宇野浩二」がすばらしい。宇野浩二牧野信一石川淳、とこういう流れはまえに宇野浩二について書いた時に引用した堀切直人の解説も提示していた、まことに興味深い流れだ。

坂口安吾は「風博士」を牧野信一に激賞され、続く「黒谷村」も褒められ、それによって文壇に出てきた。おそらく、牧野信一の名を知る人の多くは、このエピソードによって知ったのではないだろうか。私がそうだ。安吾が書いた牧野信一についての文章はちくま文庫坂口安吾全集14」にふたつ入っている。ともに追悼文である。
「牧野さんの祭典によせて」と「牧野さんの死」で、後者の方が分量が長く面白い。

「牧野さんの死」は「牧野さんの自殺の真相は彼の生涯の文章が最もよく語っている。牧野さんの文学は自殺を約束したところの、自殺と一身同体の、文学だった」と書き出され、以降、「彼の夢が彼の「人生を殺した」のだ」と繰り返し書きつけられる。その彼の「夢」とは安吾によれば以下のようなものである。

牧野さんは人生を夢に変えた作家である。彼の最大の夢は文学であり、我々にとって人生と呼ばれるものが彼にとっては文学の従者となり、そのための特殊の設計を受けなければならなくなる。彼自身はいっぱし人生を生きていた気で、実は彼の文学を生き、特殊の設計を受けた人生をしかも自らは気附かずして生きていた。彼の自殺すら、自らは気附かざる「自己の文学」に「復帰」した使徒の行為であったのだろう。彼の文学が設計した人生によれば、彼は貧困でなければならず、けれども明るくなければならない。そこで彼は或日銀座で泥酔し女房への土産には陸上競技の投槍を買い、これを担い高らかにかちどきをあげながら我家の門をくぐるのである。明日の米はないのだ。細々と明日の米に生きるよりは、米を投槍に換えなければ「ならなかった」のである。
ちくま文庫坂口安吾全集14」176P
坂口安吾全集〈14〉 (ちくま文庫)

坂口安吾全集〈14〉 (ちくま文庫)

安吾石川淳のものを続けて読むと、文章の癖というか、語り方によく似た点ある。無頼派などと括られる二者の小説は同列には括れないとは思うが、闊達さというか名調子みたいなものを持つ点で似た感触がある。ここで語られている牧野論も、よくある追悼文の向こうを張った意気あふれる文章で、交友関係もあった安吾ならではの観察もあり面白い。

牧野信一の伝説的エピソードとして、文学的自叙伝に語られた計画がある。

兎も角自分も隨分と遲れてゐる文學的教養を付けなければならないと考へても、何から讀んで好いのか、また何んなものが好きやら嫌ひやらも解らず、と云つて今更そんなことを友人に訊くのも間が惡いので、思案の揚句、凡ゆる意味で世界の初めから出發しなければならないと思ひ立ち、眞夜中に坐り直して「太初に言葉あり」と讀みはじめた。これが文學に關心を持ち出してからの太初の讀書で、混沌哲學からソクラテス、プレトーン、アリストテレス、エピクテータス、セネカパスカル――そしてシヨペンハウエルとすすんで、稍々夢中の度を増したが、一向文學的の世界へ手懸りを見出す餘裕もなく、讀書に關する話題などは誰の前にも持出せなかつた。
それについて、後藤明生は「小説は何処から来たか」で牧野と宇野とを扱った「夢のプログラム」という章で以下のように書いている。

つまり、プラトンからポオまでを、彼の「夢」通りに遍歴するために、彼は「百歳」まで生きなければと思ったわけだ。それが彼の、夢のプログラムだった。同時に、不可能のプログラムだった。そして彼は、自分の夢のプログラムに、絶え間なく「圧迫」され続けたのである。
白地社「小説は何処から来たか」193-194
小説は何処から来たか (叢書レスプリ・ヌウボオ)

小説は何処から来たか (叢書レスプリ・ヌウボオ)

そして、「村のストア派」の注目すべき以下の記述を引用する。

「黙ってはいけない、話を続けなければいけませんよ。」
細君は夢中になって叫んだ。黙ると、そのまま気が遠くなってしまうのであった。時々彼が、こんな発作に出会っているうちに、新療法が発見されたのである。喋り続けさえすれば、意識が元に返る――という荒療法だったが、たしかに彼にはそれが効があった。
講談社文芸文庫「父を売る子・心象風景」171P
ここから彼が喋り続けるのは、アリストテレスアレキサンダー大王の関係だとか、アレキサンダー大王の愛馬の名前がBucephalusなのは何故か、とか、プラネタリュウムを買いたいだとか、そんな夢のような話ばかりである。「ギリシャ牧野」時代の始まりを予告するような記述で、彼の夢の方法が示されていると見ることもできるだろう。

他にも、文庫の解説に面白いものがある。宇野浩二の「夢見る部屋」を編集したのは堀切直人という評論家で、堀切氏は岩波文庫の「ゼーロン・淡雪」の解説も書いている。また、文芸文庫の後藤明生「挾み撃ち」の解説を書いている武田信明は文芸文庫の「父を売る子・心象風景」で作家案内を担当していて、沖積舎から牧野信一作品集を編んでもいる。そして武田氏のデビュー評論(群像新人賞)に「二つの『鏡地獄』−乱歩と牧野信一における複数の『私』」がある。これはまだ読んではいないが(なにしろ牧野の「鏡地獄」は全集でしか読めないため未読)、面白そうではある。なお、「父を売る子・心象風景」では小島信夫が解説を担当している。また、小島氏は「私の作家評伝」で「ひとおどり」という宇野浩二論を書いていて、ここでまた宇野浩二にたどり着く。
ここら辺の作家にふれる人はかなり限られているのか、同じ名前を何度も眼にする。
また、後藤明生の直弟子ともいえる文芸批評家(でいいのか?)乾口達司も牧野信一論を書いている(ジオシティのサービス改訂により近々消えてしまうそうなので、ご注意、といっても私はまだ読んでいないが)。

とりあえず、堀切直人が気になる。