「壁の中」から

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牧野信一のユートピア便り

前回書いた宇野浩二が、ほぼ独力で全集を編集したほど入れ込んでいた小説家が、牧野信一だ(他に、嘉村礒多の全集も宇野はほぼひとりで編集を行ったという)。そのエピソードが示す通り、宇野と牧野の関係には単なる友好関係を越えた文学的影響・相似関係があり、それを一言で云うなら、夢想家とユーモリストの資質と言うことになるかと思う。

bk1「ゼーロン・淡雪 他十一篇」の書評にも書いたので重複になるが、牧野信一は大正期にデビューした小説家で、前回の宇野より五歳年下である。


牧野信一について

彼は最初暗めの私小説を書いていたのだけれど、昭和初年あたりから突如ギリシア哲学や古典文学の引用を縦横に駆使した珍妙奇怪な小説を書くようになった。「ギリシャ牧野」と呼ばれるその作風は、「幻想的」と評されるものの、ことさら超現実的な現象が起こるわけではない。現実の光景を幻想的に「見なす」ことで、悲哀を相対化し滑稽なものとして書き留める方法だ。

ギリシャ牧野」の世界では、ゼーロン(ゼウスとアポロンのもじりという説あり)と名づけた駄馬にうち跨って自分の彫像を捨てに行ったり(「ゼーロン」)、酒屋に飲んだくれどもを引き連れて酒樽を奪いに行ったり(「酒盗人」)、インディアン・ガウンを村中の人間が着る奇妙な風俗が流行したり(「西部劇通信」)、などなど、奇妙奇天烈な事が起こる。

これらの作品群の得難い明朗さと幻想味そして喜劇性は素晴らしいと思う。しかし、幻想を生み出すこのメカニズムには背後に黒い穴のようなものが穿たれている。ギリシャ牧野の作風に転換する前に彼が書いていたのは父の死後、母と親戚の人間たちが財産を食い荒らす姿であり、憎悪に近い感情を抱く母の姿であった。

暗く、自己否定的なこの傾向が頂点に達したと思われるこの時期の作品は文庫本で三種出ている牧野の短篇集には入っていない。「「悪」の同意語」イイヴル シノニムスや「鏡地獄」といった作品がそうらしいのだが、これらは私の持っている三種の文庫には入っていない。選集に入れるには暗すぎるのだろう。だが、「父の百ヵ日前後」や「村のストア派」などにその片鱗は伺える。

「父〜」で父の急死の後、仲の悪い叔父と対立する場面が描かれる。母と叔父とが牧野信一に敵対しているという構図になっている。牧野はここではほとんど劣勢の敗北者であり、その点で母から逃亡した父とおなじ側に立っている。この小説は生前の父の回想が挟まれ、一家の長男として「主人公」となった牧野による父の弔い合戦の様相すら呈していて、父への屈折した愛情と母への憎悪とが見受けられる。

アメリカへ行っていたという理由もあり距離を感じる存在であった父(酒を飲んでいる時だけ親しい会話を交わしていたようだ)の死後、母をはじめとする土俗的な姻戚関係への憎悪がきわまった後、ギリシャ牧野時代が始まる。

ギリシャ牧野の背景には以上のような暗い情念と貧窮の貧乏生活とが横たわっている。「ゼーロン」などにそれを読みとることができるが、しかし見るべきはその現実を造りかえる言葉の強度だろう。

ギリシャ牧野の特徴とは古典文学を介した言葉によって、暗い現実を明朗な別天地へと変換することにあり、「文学は自然を摸すとは彼の場合大きな嘘で、自然の方が彼の場合つくり直されて現れてくる」と坂口安吾が指摘するように、牧野自身の「夢想の方法」である。

「詩は、饑餓に面した明朗な野からより他に私には生まれぬ」という彼の文学宣言は、彼の方法が、現実の重苦しさが迫れば迫るほどより強く跳ね返るバネのようなものだということを示している。だから、彼によって夢見られた世界の明朗さのなかにはやはりその暗い現実の影が兆していることがよくある。

しかし、哀しみと笑いとが手を取り合ってより深みを増すということは、ヴォネガットセリーヌを見ればわかることだ。二人は暗い現実認識から比類ないユーモアが現れるという、悲喜劇の真髄を示していると私は思う。滑稽さとは哀しみと笑いとを併せ持つのだし、牧野の作り上げた世界もそこに並べることができる。


●「西部劇通信」と「酒盗人」

牧野信一の小説世界を見る上で私が好適だと思うのは、「西部劇通信」と「酒盗人」である。前者は二十枚ほど、後者は六十枚ほどのさして長くないもので、奇天烈な状況を描いた好篇である。
「西部劇通信」は短いものだったので、引用するついでに全文この上に転載しました。興味のある方は読んでみてください。

「西部劇通信」とは、小田原に起居する語り手が都の友人に宛てた手紙という体裁を取り、その村での奇妙な風俗の流行を描いたものだ。そこに越してきた語り手は、ろくに着る服もなかったので、「インデアン・ガウン」をまとって一日中過ごしていたが、田舎の人達はそれが東京での流行のファッションであると勘違いし、競って彼の着ているガウンを得ようと試みる。意外に思ったのは語り手で、こんなものが東京の流行な訳はないといくら言い聞かせても、すでに青年達はそのガウンに見せられてしまい、語り手を裸にひんむいて(というか語り手が自分から脱ぎ捨てていったのだが)ガウンを奪う。その型をとってインデアン・ガウンを量産した村の青年達は、それを青年団のユニフォームにしてしまう。

と、まだ全部ではないが、こういうスラップスティックな話である。これを読んで感じるのは、ここで描かれている世界がまことに牧歌的な、一種のユートピアに見えるということだ。小田原の村に突如として出現した西部劇の世界、そこからの手紙が読者の元に届く。それは言葉でできたこの世にない世界であって、まさしくユートピアである。言葉によって夢見られたユートピアからの手紙である。

土地の因習の暗さや、うっとうしい親族もなく、明朗な野に現れた架空の世界がここでは描かれている。ただ、末尾ではこの状況ももうすぐに終わることと、語り手がそこを出ようとしていることが語られ、単なるユートピアというわけではなく、終結を示唆された場所となっている。

で、私がもっとも驚愕し感動したのは書評でも書いたとおり「酒盗人」で、青空文庫にもない。冒頭部分をここに引用してみる。

酒盗人」

 私は、マールの花模様を唐草風に浮彫りにした銀の横笛を吹きずさみながら、
  …………
   おおこれはこれ
  ノルマンディの草原から
  長蛇船ロング・サーパントの櫂をそろえて
  勇ましく
  波を越え、また波と闘い
  月を呪う国に到着した
  ガスコンの末裔だ
  …………
と歌った。
 節々をきざむ私の指先が、花模様の笛に反射する月の光のうえに魚となって躍っていた。――明る過ぎる月夜の街道であった。笛を吹く私のシルエットが、あまりはっきりと地に描かれているので、もう一人の合奏者が私の先に立って水を渉ってゆくと見られた。月は一体、どのあたりに歩みを停めているのかと私はいぶこうて、なおも頻りに笛を吹きながら後ろの空を見あげたが、空はただ一面に涯しもなく青白く明るみ渡っているだけで月のありかを指差すことは出来なかった。さかさまに懸かって空を踏んでいく――私は、空を行く悦びも地を踏む哀しみも知らぬ月の光の如き涯しもない永遠の夢心地で、おもむろに歩みを速めて行った。朦々と明るみ渡った煙の縞瑪瑙も畳まれた長廊下――。
 たった今私は、務め先の魚見櫓の台上から、望遠鏡を伸ばして村里の様子を眺めてみると、橋のたもとにある一軒家の私たちの居酒屋サイパンの前に旺んな焚火の火の手があがって、その傍らを、拳を振りあげたり、躍りあがったりしながら、いずれ誰やらさだかには識別出来なかったが、狐に化された連中のように有頂天となった影法師が次々と酒場の中へ繰り込んで行く模様をみとめたので、こいつはてっきり、俺たちが首を伸ばして待ち焦がれていたところの、音無村から酒樽の荷が到着したに相違ない……
 「ブラボウ、ブラボウ!」
と私は思わず拳を振って歓呼の叫びを挙げながら、高さおよそ十余丈もあろうという長梯子を、実にもものの見事に滑るが如くに駈け降りたのである。

「ゼーロン・淡雪 他十一篇」岩波文庫6163P
まだ序の口である。冒頭の歌からして妙で、語り手の「ブラボウ」という快哉も変だ。その上、語り手は酒場の皆にギリシャ哲学を講義し、カロルを踊ったりする。
書評にも書いたあらすじを以下引用。

主人公が通い詰める居酒屋にたむろするのんだくれたちは、樽に残った最後の一滴がしたたり落ちると、身も世もあらぬ嘆きを託ち、ツケで飲みまくったために近隣の酒問屋から今後一切酒を売らぬと申し渡されたことを主人公に告げる。主人公は発憤し、曲折あって皆で仕事をし酒を買えるだけの金を貯めるのだが、いざ問屋に行くと、これまでの借金はこれで帳消し、として酒を売らずに門戸を閉じられてしまった。これに怒ったのが飲んだくれ一同で、主人公はなんと「攻め入ろう」と言い出す。
ノルマンディの海賊の戦いの歌を歌いつつ馬にまたがり、矢文で「酒をうけとりに来た――Happy pendulum brotherhood」と予告状を投げ入れ、その後策略通りとは行かないまでもきっちり酒樽を盗み取り、飲んだくれどもとふたたび飲んだくれて夜が明ける。

というのが全部だが、最後ではそれまでの出来事が夢であったという示唆がされる。正確には、どこからどこまでが夢なのかわからないという茫漠な印象なのだが、架空でどこにもないユートピアの場所は、蜃気楼のように揺らめいている印象である。

両篇に見られるのは、主人公がどちらも滑稽な人物として描かれている点で、その滑稽さが作品の陽気さ明朗さに垂直の軸を下ろし、確固たる足場としているという点である。これはギリシャ牧野時代の作品の一種の核であろうと思われる。

これらの時期の作品では、この滑稽さが作品を支えるものとなって、逸しがたい印象を残すのだが、同時にそれは生々しい精神がそのまま横たわっているような感触にもなっている。読んでいくとどうしてもその精神の向こうに見える虚ろさが感じられて仕方がない。「牧野信一氏の死はまさしくわたしの血管の中での事件に相違ない」と牧野追悼文を書き出す石川淳も、こう書いている。

「希臘風の感慨にみちた一連の著作にふれて感じえたところは生のよろこびよりほかのものではなく、ただそれと同時に痩せほそり行く作者の肉体が彷彿と目にちらつくのをどうしようもなかったのだ」
中公文庫「文学大概」130P
後期に近づくにつれてこのような色彩がどんどんと強くなっていく。これに似たことは宇野も書いていて、この二重性は牧野読者に共通の感触のようだ。

自分自身を滑稽さと喜劇のなかに放り込む意志は次第に自己否定と神経衰弱とに変貌したのだろうか。私はこの、牧野の言葉のユートピアが失墜していくさまが哀しく思われて仕方がない。