「壁の中」から

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レーモン・ルーセルの奇妙な詩篇

レーモン・ルーセルの詩はあまり翻訳されていない(カラデックやフーコーの本に、幾ばくか引用されている程度と、確か「黒いユーモア選集」に入っているものがあるはず)ので、フランス語ができない(というか、あらゆる外国語)私には全貌がつかめない。それでも、いくつか近づく手だてを講じてみようと思う。まず彼の公刊した小説、詩の単行本をリストにしてみる。ただ、このリストは主なもののみセレクトしてある。詳細なリストをみたい方はペヨトル工房夜想27 レーモン・ルーセル」を参照。

★Raymond Roussel/レーモン・ルーセル
La Doublure『代役』1897
Chiquenaude『爪はじき』1900
La vue『眺め』1904
Impressions d'Afrique『アフリカの印象』1910
Locus Solusロクス・ソルス』1914
L'Etoile au front『額の星』1925
La poussière de soleils『無数の太陽』1927
Nouvelle Impressions d'Afrique『新アフリカの印象』1932
Comment j'ai écrit certains de mes livres『いかにして私はある種の本を書いたか』1935

このうち、翻訳があるのは以下。

「爪はじき」が岡谷公二編「澁澤龍彦文学館 9 独身者の箱」筑摩書房に収録。
「アフリカの印象」、「ロクス・ソルス」の二長篇は前にリンクしたからパス。「額の星」「無数の太陽」は、合本で翻訳されている。「額の星・無数の太陽」人文書院
で、「いかにして私はある種の本を書いたか」は、ミシェル・レリス「レーモン・ルーセル 無垢な人」ペヨトル工房に収録されている。
その他、「いかにして私はある種の本を書いたか」に付録として収録されていた「発生のテクスト」または「萌芽のテクスト」などと訳されるTxetes de grande jenesse ou textesgenèseのうち、二篇は翻訳がある(この「発生のテクスト」が全何篇からなるのかはどこかに書いてあった気がするが、いまは覚えてない)。一篇は先にも書いた「独身者の箱」に入っている「綱渡りの恋」だが、もうひとつは早稲田文学の1986年8月号の「黒人たちの間で」である。これは「アフリカの印象」で用いられる手法の依拠したテクストであり、白と黒のコントラストが大きな要素となっている短篇とのこと。ただ、この号は幻想文学特集で中井英夫が書いていたりしたせいか、かなりのプレミアがついている。これとか

あとは上で参考にした「夜想27 レーモン・ルーセル」ペヨトル工房巻末の参考文献リストによれば、「世界名詩集大成5 フランス4」平凡社に、『新アフリカの印象』の第三と第四の歌が粟津則雄訳で、そして「シュルレアリスムの詩 シュルレアリスム読本1」思潮社に、同じく『新アフリカの印象』の第三の歌が粟津則雄訳で収録されている。
また、なぜか「夜想」のリストに載っていないのだけれど、ブルトン編の「黒いユーモア選集 下巻 (セリ・シュルレアリズム 1)」に、「アフリカ新印象記」というのがある。これは「新アフリカの印象」の抄訳だと思うのだけれど(「夜想」の文献表には、この本が載っていない。「アフリカ印象記」「太陽の塵埃」なども載っているのに。)。ただ、現物を見ていないので、どういうかたちで載っているかは不明。検索してみると、発行が1969年(国文社ウェブサイトより)で、岡谷公二氏の紹介(「アフリカの印象」1980初版刊行)よりも早い段階で出ている。日本で翻訳された最初のものではないのか。現物をみたいが、高いなあ。

私が持っているのは、この「シュルレアリスムの詩」なので、『新アフリカの印象』のうち第三の歌だけが読める。で、『新アフリカの印象』のまえに、ここではまず岡谷公二氏が紹介している初期の詩篇についてから見てみる。

●レーモン・ルーセルの初期詩篇

「代役」について。

有名な俳優の代役を専門とする男を主人公にした、十二音綴(アレクサンドラン)の韻文小説である。筋にはさしたる曲折はなく、ニースのカーニバルの描写が二百ページ近い長編の大半を占めていて、その描写の執拗さと単調さに唖然とさせられる
岡谷[1998]17P
そして「眺め」
『眺め』は、「眺め」「演奏会」「泉」の三つの詩を集めた詩集で、「眺め」は、ペン軸の先のガラス玉の中に入っている小さな写真の、「演奏会」は、レターペーパーの上部のデッサンの、「泉」は、ミネラルウォーターの瓶のラベルの描写である。
岡谷[1998]19P
と、その詩がほぼ「描写」で占められていることが推測できる。フーコーの「レーモン・ルーセル」から、「眺め」の部分を孫引きしてみる。

     私の眼差しは
ガラスの玉に入りこみ、すると透明な底部が
はっきりしてくる……
それはとある砂浜の
活気のある、景気のいい時を現わしている。天気はよく晴れている。
フーコー[1975]152P
別の場面の引用。

その男はかなりきれいな二人の婦人にはさまれて進んでくる
二人それぞれがおかしいほど気をつかって
彼の腕を片方ずつとっている……
自分の主張を力いっぱい強調するために
彼はもがき、できるかぎりのことをする。彼は
手と手首だけが保っている残り少ない、
不確かであやふやな自由を用いる……
フーコー[1975]153P
ルーセルの詩が描写ばかりというのは、はカラデックが「レーモン・ルーセルの生涯」で引用している「代役」の一部を見てもわかる(引用のうち(…)は、原文通りに引用したがこれは中略記号だろう)。
その午後、ニースのラ・ガール
大通りでは、バラバラの大群衆が
カーニヴァルの最終日を祝っている。(…)
そこでガスパールとロベルトは人の流れにもまれても
迷子になるまいとあたりを窺い、ゆっくりと、
左側の歩道の上を、マッセナ広場に向かって、
無数の下層民の間を入っていく。(…)
アーケードの下、そこで、人々はもたつき(…)
一人の男が、そこで立ち止まり、二人に近づいてから
彼らを連れてマッセナ広場に戻る、
男が出て来たばかりのその広場に(…)
大通りの入口では、
ますます人の滞りが激しくなり、
ざわめいて、(…)
今や、マッセナ広場は、
彼らの前一面はごった返す人で溢れ(…)
カラデック[1989]2829P
どうも、これが「二百ページ近」く続くらしい。ちょっと、異様だ。ちょっとどころじゃないかも知れない。執拗にして微細な描写は、もちろん「アフリカの印象」や「ロクス・ソルス」にもある。「ロクス・ソルス」での歯でモザイク画を作る撞槌の描写を引用してみる。
 この飛行船の頂部には、襟状の網にまわりを囲まれた、むき出しのままのアルミニウム製の自動バルブが見え、それには、シャッターを伴う円形の口があいていて、その隣には、文字盤の小さなクロノメーターがついていた。
 気球の下には、細い綱具が垂直に垂れさがっていたが、これは、極細の、軽い赤い絹糸から成る例の網の下部をなすもので、吊籠の代わりに、アルミニウムの丸い盆を、垂直の、ごく低いへりにあけられた穴によって吊っていた。逆さにした蓋に似ているこの盆の中には、その平たい底に、黄土色の物質がうすい層をなして広がっていた。
 盆の裏には真中に、この飛行器具の本体そのものをなすアルミニウムの細い円柱が、リベットによって垂直に固定されていた。
ルーセル[2004]39P
ここでは、この調子の描写が四ページほど続く。この描写のある種の単調さには、同種のものがある。ただ、「ロクス・ソルス」で描写されているのは奇怪な発明品、「代役」ではニースのカーニヴァルである。

で、ここで注意しなければならないのは、「代役」は韻文で「ロクス・ソルス」は散文だという差だ。代役の原文を見たことはないので(仏語ができないので探しきれないのだが、ネット上にもないようだ)、たぶんでしかいえないが、何らかのかたちで脚韻を踏んでいるはずである。アレクサンドランとは、十二の音節で綴られる定型詩で、だいたい十九世紀までの詩法らしいのだけれど、詳しいことはわからない。韻の踏み方にも幾つか種類があるらしい。日本語で言えば、五七五七七式の定型でかつ、各節に韻を踏ませたもの、と思えばいいのだろうか。(余談だが、アレクサンドランで検索していたら、こんなページを見つけた。第六章の一番下の部分でレーモン・クノーの「文体練習」の日本語訳の韻について触れている。そこでは原文が十二音節のアレクサンドランを日本語に訳したものを引用している。面白い、やっぱり「文体練習」は欲しい。まえに書店で最初の方だけ立読んで、けっこう笑わされた)

岡谷氏ばかりでなく、カラデックの指摘も見てみる。(〔〕括弧は訳者註、ルビは原文通り)

『代役』のアレクサンドラン〔一二音綴の詩句〕には、いわゆる「詩的な」というイマージュあるいは月並みの主題さえ全く欠けていることに驚かされる。それは、真実なところもはや贅言シュヴィルと区別されないような几帳面さで韻を踏んであるものの、韻律に欠ける描写なのである。「まるで散文で言いうるようなものが韻文化されているかのようだ(原注33)」。しかしレーモン・ルーセルが後に自分の「手法」から獲得するものとは逆に、この「韻文化」は、現実の、そして彼の知っている場所や事件の――つまりブールヴァール劇〔軽演劇〕、縁日興行劇、ニースのカーニヴァル、ヌーヌーの祭りの――描写に適用される。
カラデック[1989]2728P(原注33は括弧内の文章がレリス[1991]74Pからの引用であることを示す)
また、カラデックは同じ著書の中でルーセルは自分の天才をどのような瞬間に見分けたのだろうか。ニースのカーニヴァルの描写の部分によって、「散文を韻文的に書く」手柄によってであることにほぼ間違いない」(カラデック[1989]60P)と興味深い指摘をしている。

しかし、ここではそこから派生する問題―ルーセルの韻や手法は現実と想念の世界を切り離すためのものというレリスの論―には立ち入らない。調子に乗って引用し続けているといつまでも本題にたどり着けなくなる(本題もまた引用だけれど)。ここでは、とりあえずルーセルが韻文の定型に則って詩作をすること、そしてその詩は、ほとんどが描写に費やされ、その量が膨大でかつ単調にして執拗であるらしい、ということを確認だけしておく。また、詩においては韻文それ自体がルーセルにとって現実遮断の方法であったため、あえて手法を使わずともその用を足すことができたのだろうというレリスの言もあることをつけ加えておく。これには少し疑問もあるがその詳細はいずれ。

●「新アフリカの印象」予告篇

で、いよいよ「新アフリカの印象」の出番である。イアン・ワトスン「エンベディング」において参照される詩で、どうも重要な道具立てらしいのだけれど、まだ読んでいないので、この詩と「エンベディング」の関係についてはいまはびわさんSlowBirdさんに聞くほかない。

「新アフリカの印象」はルーセル最後の詩であり、「いかにして私はある種の本を書いたか」という「文学的遺書」を別にすれば遺作と言ってもいいものだろう。この詩についてはルーセルを紹介するさいによくとりあげられるのだけれど、きちんと引用しているのは、私見ではフーコーの「レーモン・ルーセル」とカラデックの「レーモン・ルーセルの生涯」くらいしかない(何か見落としがありそうだが。ただ、「夜想27」では、ジャン・フェリーが「新アフリカの印象」の作られ方をオリジナルの文を使って丁寧に追っている)。

で、名ばかりが先行している気がする「新アフリカの印象」を引用しようと思ったけれど、その独特の構成法から一部を抜き出しても逆にわかりづらい(というか、説明するのが面倒)ので、第三の歌を原註含めて全文引用することにします。ちょっと厄介なので、読みやすくするために加工していますので、少々お待ち下さい。
すごいぞ。

(ここまで書いたところで、前のエントリでのコメントでびわさんに教えてもらったのだけど、「(゜(○○)゜) プヒプヒ日記」さん12月7日の記事で「新アフリカの印象」の諸外国語版について触れられている。これからやろうとしていることとかぶっていて、驚く。というか、見たことがあるサイトだなと思っていたら、以前小栗虫太郎黒死館殺人事件」を読んだ時に、検索していて来たことがあるサイトだった。)