「壁の中」から

むかしblogtribeにあったやつのアーカイブ

三者の後藤明生論

前回のエントリで乾口達司氏の論へリンクを張るのを忘れていた(さっき修正した)。
リンクしたのは下の後藤明生論。

後藤明生と「敗戦体験」-同化と拒絶のはざまで-
乾口達司氏は近畿大で学び、後藤明生から直接教えを受けた学生だったらしい。オフィシャルサイトによると、さいきん花田清輝についての本を出したとのこと。
上記論文は後藤明生自身から書かないかと言われ書いたものとここにある。

後期後藤明生の引用について総体的な指摘があり、参考必須の後藤論だと思う。模倣と批評という後藤明生のスローガンを、後藤明生のいわばふたつの故郷、永興、九州朝倉という土地への同化と拒絶という図式にずらして把握しており、説得的な論になっている。後藤明生という小説家の全体を見通すにはいい。しかし、ここで述べられている論にはあまり賛同できない。
理由を幾つか端的に挙げると、

1.「赤と黒の記憶」というごく初期の作品から後藤明生全体を捉えようとしている点で、作家の作品の変遷を無視している。
2.土地を複数のテクストによって重層化している、と乾口氏は論じているが、土地とテクストの関係はおそらくもっと違ったものだと思う。
3.「同化の希求にもかかわらず、テクスト=言葉が重層化されることによって、反対に「朝倉」を内面化することの不可能性=拒絶のさまを露呈させること」と、「愚者の時間」等の朝倉連作を論じているが、連作における引用の氾濫はもはやその図式すら破壊せしめていると私は考える。
4.「吉野大夫」「壁の中」「首塚の上のアドバルーン」「しんとく問答」までをも、3の図式で整理しているが、これは乱暴な図式化でしかない。

乾口氏の「同化と拒絶」という指摘が妥当するのはせいぜい「挾み撃ち」までであり、「吉野大夫」以降のテクスト遍歴型の作品で行われている引用を、その図式によって整理することは出来ないと言うのが、私の考えだ。

初期作品、特に「母親への一通の長い手紙」などの短篇における引用については芳川泰久氏の「書くことの戦場」が非常に面白い議論を展開している。ドゥルーズの、特に「カフカ」を援用しての議論には追いつけない部分もあるが、上記の乾口氏のように主題的にではなく、作品のメカニズムにそって読み解いて行くさまはとても面白い。渡部直己氏の「かくも繊細なる横暴」には、後期の引用について、偶然ととつぜんの観点から、生きることそのものの偶発性において、あらゆる材料を「等価の糧」として紡いでいく、という見方をしていて、これもまた非常に面白かった。

私が考えているのは、渡部氏が言ったことに近いのだけれど、引用を引用として限定してしまうと、おそらく、後藤明生の引用は捉えきれないのではないかと言うこと。たとえば、「首塚の上のアドバルーン」の序盤とそれ以降の形式の差を含んだ形で読まねばならないのではないか、と。