「壁の中」から

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後藤明生「八月/愚者の時間」3

●テクスト遍歴への移行

「針目城」は

「針目城といっても誰も知らないと思う。実はわたしも、『筑前国風土記』ではじめて知ったのである」
と書き出されている。ここでもうすでに、前三作とは小説の書かれ方が異なっていることがわかる。「綾の鼓」などでは、九州筑前への帰省を主として、そこにさまざまなテクストが重なっていくという仕方であった。天智天皇の歌、謡曲等が、本籍地「朝倉」にかかわるものとして入り込んでは来ていても、主として書かれていたのは帰省の状況であり、語り手の本籍地への複雑な感情であった。

「綾の鼓」「恋木社」に続いて書かれたと思われる「愚者の時間」では、前二作の内容を引き継ぎつつ、「帰省」のあと、帰宅してからのことが書かれている。内容については前記したので繰り返さないが、この作品の最後で、語り手は貝原益軒筑前国風土記」を読み始める。小説はそこでとつぜん終わる。

回り道をするが、「愚者の時間」から非常に後藤明生らしい部分をちょっと引用する。

「いまのような使い捨ての時代に、何が何でも反抗したいという気持ちはなかった。実際、誰が反抗してみたところで、時代の方では痛くも痒くもないだろうと思う。また、どうしても時代というものが気に入らなくて、死ぬということも人間には出来る。そして事実、そういう腹の立て方をして死んだ人もいるにはいるが、わたしが思うのは、変化ということである。今の時代が気に入ろうが気に入るまいが、いつまたどう変化するやらわかったものではない。これは、よし悪しの問題ではない。好き嫌いの問題でもない」147-148
何が起きるかわからない時代に生きること、そこに悲哀と滑稽さを滲ませる後藤明生らしい認識だが、それより、文中の「死んだ人」とは、三島由紀夫だろうか?

話を戻して、「愚者の時間」では「筑前国風土記」を引用して、「笑いの衝動だけは生き残っていくような気がした」と、カフカの「審判」みたいな結句で閉じられる。なぜここで笑いが出てくるのか、それがとても気になる。というのは、ここで後藤明生が笑う理由がわからないからだ。「筑前国風土記」を読みながら、筑前邪馬台国説を唱えるTのことを思い出しているのだが、そこでとつぜん「後藤又兵衛」という名が出て来る。Tが「お前は後藤又兵衛を探しよるとやろう」と言った気がする、と非常に曖昧なかたちで後藤又兵衛の名が現れ、そのうち語り手は「わたしはすでに後藤又兵衛を探しながら読んでいるような気がする」といい出す。ここらへんの展開がかなり飲み込めない。それまで後藤又兵衛の話など誰もしていないし、なぜ「筑前国風土記」に後藤又兵衛の記述を見て笑うのだろうか。
後藤又兵衛自身については
http://www.rosenet.ne.jp/~wabi/24-8.htmここに簡単な説明があり、黒田騒動の黒田長政とも関わりがあったらしいことがわかった。そして、黒田騒動を扱った森鴎外の歴史ものに「栗山大膳」があり、これを扱ったのが「針目城」の次に置かれている「麻デ良城」(までらじょう)である。「筑前国風土記」を軸に、「愚者の時間」「針目城」「麻デ良城」と続いていることになる。ただやはり、「笑いの衝動」はよくわからない。

それはいいとして、「針目城」は「愚者の時間」を引き継ぎ、「筑前国風土記」の話題に始終している。「針目城」という城にかんするごく短い記述に面白味を感じた語り手が、その部分を現代語訳して作中に挿入している。引用するだけではなく、翻訳まで行っているのだ。この一篇が「愚者の時間」から異なっているのは、そういった引用術の氾濫ぶりにある。

そして、それまでの連作では本籍地へのこだわりが作品を領していた(あとがきに、「愚者の時間」を書くことで、朝倉=亡父の呪縛から解放されたとある)のに、「針目城」「麻デ良城」では、語り手は楽しげにテクスト探索にふけっている。

「麻デ良城」になると、森鴎外歴史小説と歴史其の儘」を読んだら実は以外に短い文章だったという驚きから、鴎外の「栗山大膳」に話が変わり、そこに出てくる「左右良」(まてら)が、「針目城」と関わりの深い城であることがわかり、さらにこの左右良(まてら)、または「麻デ良」(までら)という山の名前を「日本書紀」に発見し、そこで天皇をも脅かす山の神の存在に不思議を感じ、また鴎外の「栗山大膳」に戻り、「筑前国風土記」の益軒が書いた「黒田家譜」を読んでみようと思う、という、アミダクジ式とのちに後藤自身が呼ぶ独特のテクスト遍歴のありさまが描かれている。までら、という名前の響きに引き寄せられ、フィクションや歴史書をもまじえたさまざまなテクストを渉猟していく、後期後藤明生の最大の特徴がはっきりと示されている。

その意味で、「綾の鼓」「恋木社」「愚者の時間」「針目城」「麻デ良城」と続く一連の朝倉連作は、「挾み撃ち」的な引用と、テクスト遍歴型の代表作「吉野大夫」「首塚の上のアドバルーン」などの引用との狭間に位置する重要な作品群だろうと思う。

端的に言えば「挾み撃ち」の引用というのは、模倣を願いながらも叶わないという構図になっていて、自身の姿に重ね合わせつつ、その差異を際立たせる効果をもたらしている。「挾み撃ち」でゴーゴリ荷風、鴎外と呼び出される作家たちは、なろうとしてもなれない憧れの存在である。しかし、「麻デ良城」での鴎外や益軒、「吉野大夫」に出てくる様々な書物は、模倣することをそれほど願ってはおらず、ほとんど謎を解くために渉猟されるフィールドだというのが、私の考えだ。【参考書評→「首塚の上のアドバルーン」、「吉野大夫」

最後に、私が興味を持っているのは、「恋木社」から「愚者の時間」へ、そして「針目城」へ転換する、そのプロセスである。亡父=朝倉から、朝倉=筑前仲間、そして「筑前国風土記」にシフトしていくのがこの連作だと思うのだが、その転換は何なのか、ということ。
たとえば乾口達司氏は(「日本近代文学との戦い」の編者でもある)ここで、ある説を提示しているが、私には首肯できない部分が多々ある。それをきちんと考えることが、近頃の目標でもあり、読み直しを続けている理由である。