「壁の中」から

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笙野頼子「だいにっほん、ろんちくおげれつ記」群像2006年8月号

群像 2006年 08月号 [雑誌]

群像 2006年 08月号 [雑誌]

群像1月号に発表された「だいにっほん、おんたこめいわく史」の七ヶ月ぶりの続篇。だいたい三百枚弱。

前作の狂騒的な文体とはうってかわって、かなり落ち着いた雰囲気がある。冒頭の木の描写など、静かななかに嵐を訪れを感じさせるようなものがあり、それが今作全体の印象につながっている。次作を読まないことには確定できないが、今作は、次の段階へ向けての地固め、足慣らしという位置づけになるのではないかと思う。

今作では、前作「めいわく史」で首を吊って死んだみたこ教信者埴輪木綿助の妹、埴輪いぶきをメインにして語り始められる。このいぶきという女性、いったんおんたこの遊郭で殺されていて、それが蘇ってきたという存在だ。そして、舞台となっているS倉では、この死者の蘇りという現象は日常的な光景として定着しつつあるようだ。

いぶきは何かを手伝おうと街をうろつき、そこから見える情景のなかに、2060年のだいにっほん、S倉の置かれた状況が見えてくる。「めいわく史」で描かれたみたこ教弾圧事件からもずいぶん経ち(実際何年経ったのかははっきりしない)、死者の蘇りという異常事態も、おんたこ政府の黙殺により特に問題化しているようにはみえず、とりあえずの落ち着きがあるようだ。

しかし、蘇った死者が、おんたこアートでできた小さなフィギュアに入り込み、それを買ったおんたこを殺してしまうという事件が相次いで起きている。それもまたおんたこは無視している。おんたこ殺しのフィギュアに死者を入れる施設などがあるにもかかわらず、あまりアングラな雰囲気はない。今作では、おんたこの無為無策ぶりがかなり強調されている。

話がとくに進んでいるわけではないが、今作の時間軸は「めいわく史」から数十年ほど経過しているらしいことがわかる。一応確認した限りでの作品の時間軸を書いてみる。(全部チェックしたわけではないので、明確な記述があれば訂正します)

浄泥の死亡年 1760年
野之百合子の生年 1950年代
ウラミズモとS倉の利根川の橋 2002年
めいわく史 2010年あたり(百合子失踪から十年と数えて)
おげれつ記 2060年

めいわく史(みたこ教弾圧事件)がいつの出来事なのか見た限り判然としなかったが、百合子失踪の時期から逆算すると、以上のようになる。「めいわく史」からおよそ五十年が経っているらしい。しかし、数十年経ってるとすると不思議に思える点もある。

「おげれつ記」は二、三度読み返したが、前回の延長上にあるので、あまり書くことがない。これだけだと記事として短いかと思ってまとめずにいたら読んでからずいぶん時間が経ってしまった。

目新しい点としてはネオリベラリズムへの言及がある。それについては参考に挙げられている以下の本は問題を知るには適当かと思われるので、IMFがどうしたのか、という人は読むと良いと思う。私も、IMFの下りはよくわからなかったが、融資と引き替えに政策への干渉(ネオリベ化への)を行っているというのを読んで腑に落ちた。

ネオリベ現代生活批判序説

ネオリベ現代生活批判序説

IMF Wikipedia

作品の感想としてはPanzaさんのこのエントリがある。ポイントを網羅していて私の記事より有益。

さて、Panzaさんは様々な事柄が「線的にではなく全体として族生している小説」と評している。「だいにっほん」の連作で大々的に取り入れられている新機軸として、複数の人物の複数の語り、複数の思考が重層的に折り重なっていることが挙げられる。一人称での暴走気味にドライブする語りが特徴的だった笙野作品としては初めてではないだろうか(複数人物を据えた作品があったか思い出せない)。

もちろん、全三部予定の大部の作品を成立させるのには「水晶内制度」や「金毘羅」的な一人称文体では無理だということなのだろう。前作でも、火星人落語やら「おたい」やら小説内小説やら、とかなり多彩な語り口を用意して見せたが、今回はそれほど派手ではない。が、「おげれつ記」では、各人の思考がたどられていくうちに、焦点人物となっている人物のあいだに微妙に緊張関係が存在することが示唆されている。冒頭での主人公、埴輪木綿助の妹、いぶきは、兄に対しても、知り合った「おたい」に対しても時に批判的なことを語る。また、作中での「笙野頼子」の語りに対しても、部分的にしかわからないといい、また笙野らに対しても距離のある態度をとっている。

作中での「笙野頼子」が主張するような様々なおんたこ批判は、確かに「だいにっほん」連作の根幹でもあるのだけれど、決してそれが小説内で無批判に是とされているわけではない、ということだ。いぶきのような人物によって、それは不断に相対化され、批判的に眺められることになる。いぶきにとって、「笙野頼子」らの言うことにはどこか違和感がつきまとい、どうにも信頼しきれるものとは思われていない。これは、「水晶内制度」がそうだったように、見えなくされていたものを見えるようにする、という抵抗の運動が、またさらに何かを見えなくしてしまうのではないか、という疑念から来ているように思う。そのような疑念が、今作では複数人物の相互の距離感によって表現されているのではないか。

小説のストラテジー

小説のストラテジー

佐藤亜紀が「小説のストラテジー」で読み込んでみたように、笙野頼子の文体には相互に矛盾し合うような要素を一緒くたにしたような猥雑さがある。単線的にある主張を述べるのではなく、一つを語ったと思ったらそれに反する要素がすぐさま投入されて、相互矛盾する諸要素が反発しあいながら語りを駆動するところがある。それが「だいにっほん」連作では一人称文体での異様なドライブ(「金毘羅」「水晶内制度」)を抑えつつ、登場人物同士の距離感として、面的な広がりを持つように構成されていると考えられる。まあ、長いものを書こうとすればこうなるのは当然か。

●宗教に関して
作中で言及されている、熊楠の合祀反対論。
●南方熊楠 神社合祀

村上重良「国家神道岩波新書

国家神道 (岩波新書)

国家神道 (岩波新書)

宗教学者による国家神道の概説書。この本には様々な批判があるが、通説的な手堅い概説としては良い。(これへの批判として、葦津珍彦や新田均神道見直し論があり、さらにそれらへの再批判として子安宣邦の「国家と祭祀」が書かれている。子安のは買ったのでいずれ読む)

冒頭で村上が解説している宗教学における二分法が興味深い。そこでは、民族などの共同体のなかで生まれた信仰と、特定の創始者を持つ宗教とを分けて、前者を民族宗教自然宗教、後者を創唱宗教と呼んでいる。民族宗教とは、神道、原始宗教、ユダヤ教ヒンズー教道教などの、共同体に由来し社会的共同体と宗教的共同体が一致するもので、創唱宗教ではそうではない。これは伝播形式による分類で、つまり、民族宗教とはそれが生まれた共同体以外には広まらないもので、創唱宗教は世界的に広まりうる普遍性を持ったものだと言う。

民族宗教もまた発展していくと創唱宗教と類似していき、特定集団以外にも進出していくが、神道はそれとは異なった道をたどるという。神道は、仏教、儒教道教キリスト教などと習合し展開してきたが、核心は「原始宗教以来の共同体の祭祀」であり、「日本社会の外に伝播する条件を完全に欠いた」「原始宗教的な特異な宗教」だと村上は述べる。

「改めて指摘するまでもなく、原始社会で営まれる民族宗教は、小規模な社会集団の全成員による、生活と生産の共同体を維持するための儀礼であった。民族宗教の集団は、そのまま社会集団であり、この共同体から脱出することは、当然のこととして、その人間の死を意味した。共同体の成員は、個人として存在しているのではなく、その集団の構成分子としてのみ存在していたからである。かれらには、神を捨てる自由も、神を選ぶ自由も、本来、ありえなかった。
 近代天皇制国家が強調した家族国家観も共同体意識も、その淵源は、民族宗教の構造原理に発している。民族宗教の原理は、個人的内面的な契機をまったく欠いた、どこまでも原始的な宗教観念によって組み立てられており、近代社会はもとより、成熟した封建社会に置いても、とうてい通用するべくもない素朴な思考であった」
P11・強調引用者
ここで、笙野頼子がしばしば用いる用語を上の文脈につなげると、こうなる。

基層信仰=民族宗教=共同体

普遍宗教=創唱宗教=個人

共同体の祭祀、儀礼といった自然発生的なものを起源に持つ民族宗教と、創始者という個人が起源にある創唱宗教との違いはわかりやすい。笙野が、個人の内面を強調し、明治政府の宗教政策を批判するのは、この違いを意識してのことだろう。そして注意すべきなのは、神道が政府に国教化されることには猛烈に抵抗し批判するが、民俗的な信仰を拒否するのではなく、あくまで個人の立場からそれを信仰しようとしていることだ。明治政府を、基層信仰を個人的内面の圧殺のために用いたとして批判するが、笙野は逆に、基層信仰に個人の内面という問題を導入する試み、といえるかも知れない。

「迷宮礼賛 ボルヘス没後二十周年記念 アルゼンチン文化の夕べ」

主催::ボルヘス会

文学フリマでThornさんに誘われたボルヘス会主催のボルヘスイベントに行ってきました(七日前に)。Thornさんのレポートがすでに書かれているので、そちらも参照。まあ、熱心な読者とはいえない私めがそんな立派なボルヘスイベントに参加するなんて畏れ多くて、なんて(これは嫌味ではなく、知人に熱心なボルヘスファンがいて、そいつは行けないと断ったのもあって)思ったけれども、せっかくのお誘いだし、こういうイベントに行くのも機会だなということで。

山手線で高田馬場へ出て、そこから早稲田駅へと電車を乗り継いで到着。Thornさんと待ち合わせて大学構内へ。初めて入る。近くの交差点にある妙な神社は穴八幡宮というらしい。流鏑馬の像が交差点に面している。まあ、そういうのはどうでもいいとして、早稲田の学食で勝手にラーメンを食べ、彼の友人を迎えに行っていたThornさんと再度合流し会場へ移動。始まるのを待つ。

今回のイベントでは、メインのシンポジウムの前後に「アルゼンチン文化」としてフォルクローレやタンゴの演奏、歌、ダンスが披露されるという非常に豪華な趣向が凝らされている。ラテンアメリカ文学を読む人なら周知のボルヘス会会長、野谷文昭が司会をつとめ、そして始まったアコースティックギター一本弾き語りのフォルクローレ演奏がすばらしい。哀愁のあるメロディを中心にしたものから始まり、ラストは聴衆に足踏みを求めて、非常にノリの良い楽しい曲を歌い、演奏し、盛り上がったところでエンド。個人的には一番気に入った音楽がこれ。ミュージシャンはアリエル・アッセルボーンという人で、曲がCMにも使われたことがあるらしく、日本でアルバムが出ているらしいのだけれど、amazonでもHMVでも見つからない。http://www.arielasselborn.com/ コンサート会場とかでしか買えない代物のよう。まあ、いいや。

その次は日本で唯一の学生タンゴ演奏サークルというオルケスタ・デ・タンゴ・ワセダによる演奏。小型のアコーディオンみたいな楽器、バンドネオンが奇妙な音を出しているのが面白い。音にアナログシンセサイザーみたいな独特の歪みがある。アコーディオンとは違って、鍵盤が両側についていてそれぞれで押したり引いたりしながら演奏しなければならないようで、なかなか難しそうな楽器だ。途中でプロっぽい歌手による迫力のある歌が、スペイン語、日本語を取り混ぜて歌われていく。元がスペイン語であるだけに、日本語で歌うとさすがにメロディに合わない感じが強い。

その後、バンドネオンの演奏と詩の朗読。ボルヘスの詩をほとんど読んでないので、知らないものばかり。Thornさんも書いているように、マチズモの男たちやブエノスアイレスの街を書いたものが選ばれていた。

シンポジウムでは、当日出席するはずだった詩人高橋睦郎が発熱のため欠席し、かわりにボルヘス会のなんか重要な役職(たしか会長が野谷文昭)の内田兆史という人が参加し、結局、野谷文昭内田兆史芥川賞を取った「おどるでく」や、笙野読者には平成新難解派と呼ばれた作家の一人としてご存知の方もいるだろう室井光広、シンポジウム参加者中唯一のボルヘス会非会員で音楽評論家の小沼純一ボルヘス・コレクションの装画が印象的な星野美智子の計五人。プラス、シンポジウム開催の挨拶を、いくつもの本からの引用を交えた十分以上の本格的な演説で終えたアルゼンチン大使ダニエル・ポスキ。

シンポジウムの内容は、Thornさんも書いているように、そのうちレポートが「すばる」あたりに載るんじゃないかと思います。去年は確かそうだった。手持ちのmp3プレイヤーの録音機能で録ってみたら案外聞けるものになったので、それを参考にしながら以下書くけれど、レポートが出るだろうことを考えてわりと適当に書いているので、きちっと発言通りに要約しているわけではありません。

とりあえず高橋睦郎のレジュメを野谷氏が朗読し基調講演とする、という形になったけれど、ボルヘス作品を「トレーン〜」などの言葉に基づくものと「ブロディ〜」などの事実に基づくものとに分ける、という区分をし、前者を言葉によって構成された世界のリアリティを追求する作品と規定し、それがさて、日本にもあったかどうか、という議論を始めるのだけれど、「ウタマクラ」についての議論をした「ショウテツ」っていったい誰だ、というところからがまずもってわからず。ごめんなさい、近代以前はわかりません。

次に、内田兆史による発表は、ボルヘスのアルゼンチン性と普遍性についての考察。あるエッセイを軸に、アルゼンチンを書くことがアルゼンチン性を表現することではない、コーランにはらくだは出てこないではないか、とボルヘスの議論を紹介する。で、西洋の影響を強く受けているアルゼンチン文化は、西洋の伝統に対して、西洋人以上に要求する権利を有している、と。そして、アルゼンチンに生まれたことは宿命であるが仮面でもある、アルゼンチン人が伝承すべきは世界(ウニベルソ? 英語で言うとuniversity?)なのだ、というボルヘスの発言を紹介する。

ちょっと要約しきれないけど、普遍性と固有性が逆転する逆説が楽しい。で、この後に内田氏は、ボルヘスにとっての書くこととは何か、と問い、それはとりもなおさずまず古典などを読むこと、読み直すことだとし、芸術は鏡である、というボルヘスの発言はそういった読むことを通じた新たな解釈を意味しているのだという風に閉じる。結論はまあ王道な感じもするけれど、書くこととは読むことなのだという後半の内田氏の議論が、私にはもうほとんど後藤明生について言っているように聞こえてきて面白い。後藤明生ボルヘス論はあったかな。「汚辱の世界史」について何か書いていたような覚えがあるともないとも……。

室井光広はまとまった発表をするのではなく、コメディリリーフ的に雑談、体験談をたくさん話していた。作家になって履歴を求められたときに、冗談でバベルの図書館勤務としたらそれが通ってしまい、一時期それで通したことがあるというエピソードがわりと受けていた。それからボルヘス論(室井氏は「零の力」というボルヘス論で群像新人賞を受賞しデビュー)を書こうとして、気に入っていた図書館勤務をやめたいきさつなどを語っていた。また、外国語はできないけれど、原語をとりあえず読んでみるということで、もっとも敬愛する小説「ドン・キホーテ」の原書を、発音だけ覚えて毎朝経を読むように音読していた、という驚くべきエピソードを披露した。しかも二十年続けているという。わりと何かが見えた気分になるらしい。すごい話だ。

小沼純一は音楽の面から、タンゴとその前身にあたるミロンガという音楽の話や、ボルヘスにとっての音楽を論じていた。ボルヘスは音楽がわからない、としばしば言われており、事実、彼はほとんど音楽を聴かなかったらしい。しかし、そうではなく、彼にとっての音楽は彼のイデア論好きとからめて考えてみるとまた違った風に見えて来るではないか、と述べて、結構面白いことを言っていた。ちょっと要約できないが、一番熱弁をふるっていたのはこの人。

星野美智子は、論というよりは、自身の抽象的世界を表現するためにボルヘスの絵が非常にインスピレーションを与えてくれた、という話や、ブエノスアイレスにいった時の話などをしていた。階上で行われていた星野美智子リトグラフ展が、時間の都合で見られなかったのが残念。

各人の発表はこれで終了し、パネラー同士の質問などがあった後、またもやコンサートへ移行。シンポジウムで野谷氏は司会に徹して何も喋らなかったのが残念。

ラストのコンサートはかなり豪華なものだった。タンゴ・ワセダの演奏に、本場アルゼンチンの歌手が登場し迫力ある歌を披露。マイクが割れてしまうほどの声がすごい。歌がひとしきり終わるとBGMが流れ出し、(これもアルゼンチンの人か?)ホセ&ラウラというコンビがタンゴを踊る。情熱的なボディに布の面積が少ない情熱的な衣装で、アダルトな踊りを終えると、次は確かセバスティアンとチヅコ(日本人?)という二人が踊る(セバスティアンとラウラのコンビも途中にあったようだ)。チヅコはラウラに比べるとスリムな体つきで、踊りも対照的に飛んだり跳ねたりといった空中での大技を続けざまに披露し、スピードとテクニックを見せつけたエキサイティングなものだった。

(どういう感じで推移したか記憶が曖昧だけれど)その後タンゴ・ワセダの面々による演奏が全面に出て、確かダンサーや歌手も舞台に出てフィナーレに向かって盛り上がっていく。タンゴという音楽にはあまり興味が持てなくて、それほど好きではなかったけれど、このフィナーレに向かっていくときのピアノが、途中からほとんどパーカッションのように鍵盤を叩く叩く。鍵盤の真ん中あたりで弾いている最中、右手だけをぐいと右にのばして高い音のアクセントを入れるところとかが非常に印象的で、最後に向かって激しい演奏を繰り広げるピアノをずっと見ていた。盛り上がりが最高潮になったところで、一気に終了。私には最初のギターと、最後のピアノがとてもよかった。でも、ピアノが激しすぎたのか、マイクで拾った音が割れていた。そこは残念。

いや、ほんと豪華な催しでした。こんなんが無料で良いのかと思う。タンゴ・ワセダが学生サークルだとしても(だからといってタダではないだろう)、相当人数の出演者(しかも結構実績があるっぽい)が入れ替わり出てきて、金かかってんなーと思うことしきり。

終わって、会場にいつのまにか来ていたluceさんと合流。アルゼンチンワインがただで飲めるとレセプション会場に移動中、Thornさんの友人一名が帰還。まあ、その後のことはThornさんのブログにコメントしたので、そっちで。会場には星野智幸も来ていた。「ソヴェート文学」を持ってきていたThornさんの友人レオン・レオンさんはシンポジウム前にはユリイカボルヘス特集も持ってきていた。準備が良い人だ。

私もその日、イベントが始まる前にボルヘスを少しだけ読んでいた。自選短篇集「ボルヘスとわたし」から「二人の王様と二つの迷宮」と「タデオ・イシドロ・クルスの生涯」を拾い読み。「イシドロ」はならず者を書いたもので、最後の電撃的な展開までのじわじわと緊張感を増していく筆致がすばらしい。相手の中に自分を見いだす、というのは他作品にもでてくるモチーフ。印象的な部分を引用「およそ人生は、それがいかに長くまたいかに複雑であろうとも、本質的には「ほんの一瞬間」――人が決定的に自分の正体を見抜いてしまう瞬間――に凝縮されている」。「二つの迷宮」は、二つの迷宮の対照の鮮やかさを日本語で見開き一ページに凝縮したショートショート

シンポジウムでは小説について個別に討議されたりはしなかったけれど、私が思うボルヘスのおもしろさは、よく言われる哲学的意匠やメタフィクションといった、「現代文学」的な要素だけではなく、それが完成度の高い短篇だという点にもある。物語自体は非常に刈り込まれ単純でも、効果的に配された衒学的脱線と、語り口のうまさからくる凝縮度、密度は抜群じゃないか。

私が上で挙げたのはボルヘス的といわれる作品とは少し違うけれど、たとえば「円環の廃墟」にしたところで、幻想的な短篇として完璧じゃないかと。形而上的な意味ではなく、起承転結の仕組みとして「夢」の使い方が。そういう風に読んでも全然楽しめるのがボルヘスだと思う。もちろん、星野美智子がそうであるように、幻想的意匠のイメージを喚起する力の強さも特筆すべき点だと思う。ボルヘスがなければ山尾悠子の「遠近法」(これしか読んでません)もまたたぶんなかったわけで。

あまのじゃくのようだけれど、家に帰って高橋睦郎曰く「事実に基づく虚構」系の「結末」「じゃま者」を読んでみた。ボルヘスファンの友人は、ならず者、ガウチョものの作品を、マカロニウェスタンみたいで最高じゃないか、と言っていて、確かにかっこいい話だ。しかし、「じゃま者」なんか、ほとんどホモソーシャルの絵解きみたいな作品(教科書で採用したら良いんじゃないかってくらい過不足なくホモソーシャルなんだよこの話)で、どうかとも思うけれど、ボルヘスのは全然楽しめる。

というか、家に帰ってから気づいたのだけれど、私はボルヘスの小説集ならほぼ全部読んでいる。「ボルヘスとわたし」に詩集から採録されている短篇風の詩のものは未読だけれど、「伝奇集」「砂の本(「汚辱の世界史」収録の文庫版)」「不死の人」「ブロディーの報告書」「ブストス・ドメックのクロニクル」「ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件」と、一読程度なら全部読んだことがあった。

まあ、それはいいとして、ボルヘスの本の中で良く読むのは「ボルヘス怪奇譚集」だったりする。様々な書物から採録された一ページから数ページ程度の掌篇怪奇譚を楽しめるので、ちょっと開いてちょっと読むにはちょうど良い。ちょうど原典を持っている奴と読み比べてみたりすると、冗長な部分の削除や、短篇としてまとまりとオチのわかりやすいように結構手を加えてたりしているのがわかって面白い。こういう、いろんなところから‘うまいお話’を見つける目を持っていると言うことが、やはり重要なポイントなんだろう。思いつきでいうと、たとえば、良く比較されるレムとの最大の違いは、この‘お話’に対する態度の違いなんではないか。

第五回文学フリマ参加の記

先日11月12日に行われた文学フリマに参加してきました。無事本も間に合い、大過なく終了しました。当日お越しいただいた方、ありがとうございました。

売れないので午後には二百円に値下げをした。初期価格で買った人には申し訳ない。

写真右端のところ、人の影になっている向こうに、芥川賞作家そのほかのサークルが来ていた。開場すると長蛇の列ができていて、中央分離帯のようなものを形成していた。

左下がファック文芸部さん。この小ささなら大丈夫かなとは思ったけれど、一応顔が写っている部分はぼかして掲載。

当日は午後になってからいくつかのブースを回り、オンラインで読んでいるブログの書き手の人たちなどに声をかけてみたり、Thornさんに声をかけて頂いたり、OFF会ってのはこんなものかなと思った一日でした。

雑誌はまあ、あまり売れませんねえ。最初に参加したときから部数が全然増えていない、ということは、一度読んだ人がもう一回買いには来ない、ということか。やっぱり四百円は高いのか。買っていった人は半分くらいがエンドケイプさんの知り合いの方だったような気がします。ケプさん万歳。

あと、ブースの隣に突っ立っていたら、報道シールを貼った人に取材されました。民青新聞の記者の方でした。なんでしょう、去年は佐伯さんがしんぶん赤旗に取材されてたけれど、今年は民青。去年は結局載らなかったみたいですし、今年も載らないんじゃないかと。あ、「どうして小説を書きたいと思ったんですか」という質問には、当然「小説を読んだからです」と答えておきました。自分でも言いながら吹き出しそうになってしまいましたが、そうなのだからしょうがない。

当日までわりと忙しかったので、どんなサークルが参加するのかについて全然チェックしていなくて、当日カタログを見て驚く、というのがしばしば。

で、買った本。

ファック文芸部「g:neo 特集二十一世紀のファック文学」
どうかと思うサークル名と特集だけれど、雑誌の後ろにある座談会を見る限り、編集長であるdimeteaさんの趣味のよう。これが関西のセンスということか。雑誌はまだ読んでいません。

藤枝静男を良く読んでいるdimeteaさんのブログを前から読んでいたので、参加することを知っていたのだけれど、それがなんと通路を挾んで正面という恐ろしい偶然。後藤明生も読んでいるらしく、とりあえず挨拶に行ったら「壁の中」を読んだ、と。酔狂ですねえ。私は三回は通読しました。バカじゃなかろうか。
そんなことはおいといて、驚くべきはそのどうかと思うサークル名の雑誌の売れっぷり。私の右の方では某芥川賞作家たちのサークルが長蛇の列を作っていたけれど(ちなみに、前回は開場とともに入ってきた客はほぼ全員が桜コンビサークルのある二階に突っ込んでいったのだけれど、今回はそこまでではなかった。文学フリマにおける芥川賞作家のポジションというものを考えさせられる)、目の前のファック文芸部も、列はできないまでもしきりに客が訪れていて、ぐいぐい売れていく。我らがサークルが時間いっぱいかけて売った冊数の六倍近い数を数時間残した段階で売り切ったファック文芸部、羨ましすぎる。私は全然知らない人たちなんだけど、有名な人なんでしょうか。

エディションプヒプヒ((゜(○○)゜) プヒプヒ日記 垂野創一郎さん)の、「スタニスワフ・レム 発狂した仕立屋 その他の抜粋」と、「エーゴン・フリーデル タイムマシンの旅」
レムの未訳がぎっしりの「発狂した仕立屋」、これは買わねばならんでしょう。到底翻訳されそうにない「技術大全」や「偶然の哲学」といった著作からの抜粋に、インタビューなど。
リーデルという人は知らなかったけれど、タイムマシンの続篇、と聞いて買ってみた。タイムマシンの公式の続篇としてはバクスターの「タイム・シップ」なんてものもあるけれど、これはどんなもんか。

存在論的、郵便的(マンガ版)

存在論的、郵便的(マンガ版)

サークル名は忘れた。ファンキーな絵であずまんの著作を解説、ということらしい。ISBNコードがきちんとついていて、なんとアマゾンでも買える。フリマでは千円で買った。まだ読んでいません。渡邊利道さんが売り子をしていたので挨拶をする。声をかけたものの、何を話して良いやらわからず、上記の本と、渡邊さんが書いた掌篇を二三枚の紙に印刷しポスター状に丸めたものを一つ買う。
この、渡邊さんの掌篇がすばらしい。私が買ったのは「山猫とヴァイオリン」が印刷されたものだったけれど、他にも買っておくべきだったと思った。洒脱と形容したくなる愛らしい一篇で、印象的な比喩を駆使した長回しの文体がさすが。渡邊さんについてはブログから受けた印象と書いているものの印象がわりと齟齬なく一致した。

後いろいろ。しかし、私はフリマに来るたびに「私小説研究」を買ってしまう。隣にある法政文芸部とかの同人誌をこそ買うべきだった気がしている。真面目に文芸同人をやっている厚めの同人誌とかは、それなりに面白いのかも知れないけれど、読む時間がなさそうで結局買わないんだよなあ。

終了後、近くのチェーン系居酒屋で打ち上げ。鬼海さんが帰ってしまったけれど、彼の友人スティーヴ、エンドケイプさんの彼女などが参加し、意外な話で盛り上がる。去年と同じ店に入ったら、去年と同じ席に案内されたのにびっくり。あと、中国系の店員の人が、ほんとうに「アイヤー」と言っていたのには悪いとは思ったけどつい吹き出してしまった。言うんだ。まあ、言うんだろうけど。

第五回文学フリマ

数ヶ月ぶりの更新になります。お久しぶりです。どうでもいいことですが、この記事で当ブロブ通算百記事目です。

フリマ公式サイトでブース一覧が発表されたり、栗山光司さんのブログに紹介されたりした(栗山さんありがとう)ので、ご存じの方はいるかも知れませんが、幻視社は第五回文学フリマに参加します。

第五回文学フリマ

開催日時 2006年11月12日(日)
開場11:00〜終了16:00
場所 東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎 第1・第2展示室
(JR線・東京メトロ日比谷線 秋葉原駅徒歩3分、都営地下鉄新宿線 岩本町駅徒歩5分)


今回の誌面は以下の通り。

「幻視社第2号」
●特集 内臓と身体
小 説  
オメガ・メタリクス 東條 慎生
荒れ地 佐伯 ツカサ
ヘラクレスの矢 鬼海 六道
桃色と歪み エンドケイプ
レビュー   
喜劇の身体 東條 慎生

●その他
魔法少女テロルさん
作・馬大山 画・狩野 若芽
笙野頼子レビュー(続)
東條 慎生

漫画、テロルさんの一コマから。

銃を持ったセーラー服さん(魔法少女)と弱ったおじさん(マスコットキャラ)の、殺伐とした話。

という感じです。
特集「内臓」とぶちあげたはいいものの、まあ、いつも通りですね。小説は短いのが多いですが、狩野若芽によるアレな漫画「テロルさん」は前回の倍の20ページもの大作に。

ところで、私の「喜劇の身体」では後藤明生小島信夫を扱ったのですが、この稿を書いている間に、小島氏が脳梗塞で入院したことを知り、書き上げた後に亡くなったことを知りました。今年の頭に長篇を発表し、作中では体力の衰えが書かれていてもまだまだ元気だと思っていたところでした。死に際して一読者が何を言うべきかはよくわかりませんが、ただ残念です。

さて、今回、編集作業がかなりぎりぎりまでかかり、余裕を持って入稿できなかったので、きちんと印刷作業が間に合うかどうかかなり不安です。前回までの雑誌はすべて出払ってしまったので、新刊がなければメンバーがただブースに座っていることになるかと思われます。

明治の宗教政策――安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈」

安丸良夫「神々の明治維新神仏分離廃仏毀釈岩波新書

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

義江彰夫神仏習合」では、律令国家から中世までの神仏習合の歴史を語っていたけれど、この本では明治の神仏分離の政策の展開を追って、神と仏とが国家または神道派の人々によって切断されていく歴史を語る。

神仏分離廃仏毀釈といわれても、ほとんど知識もなかったけれど、これを読むと、当時行われた神仏分離政策が、それまでの宗教生活に対してどれほど大きな影響を与えたのかがわかる。

下手な要約をするより、安丸氏が「はじめに」で書いているのを見た方がはやい。

あらたに樹立されていった神々の体系は、水戸学や後期国学に由来する国体神学がつくりだしたもので、明治以前の大部分の日本人にとっては、思いもかけないような性格のものだった。伊勢信仰でさえ、江戸時代のそれは農業神としての外宮に重点があり、天照大神信仰も、民衆信仰の次元では、皇祖神崇拝としてのそれではなかった。
 だが、天皇の神権的絶対性を押しだすことで、近代民族国家形成の課題をになおうとする明治維新という社会変革のなかで、皇統と国家の功臣こそが神だと指定されたとき、誰も公然とはそれに反対することができなかった。中略 それは、近代日本の天皇制国家のための良民鍛冶の役割を各宗教がにない、その点での存在価値を国家意志の面前に競いあうことであった。
 この良民鍛冶の役割からすれば、仏教の反世俗性や来世主義、また信仰生活の遊楽化などは、克服されねばならなかった。しかし、仏教よりもさらにきびしく抑圧されたり否定されたりされなければならないのは、民俗信仰であった。中略
 よりひろい視野からすれば、民俗信仰の抑圧は、明治維新をはさむ日本社会の体制的な転換にさいして、百姓一揆、若者組、ヨバイ、さまざまの民俗行事、乞食などが禁圧され、人々の生活態度や地域の生活秩序が再編成され、再掌握されてゆく過程の一環、そのもっとも重要な部分の一つであった。この過程を全体としてみれば、民衆の生活と意識の内部に国家がふかくたちいって、近代日本の国家的課題にあわせて、有用で価値的なものと無用・有害で無価値なものとのあいだに、ふかい分割線をひくことであった、といえよう。
P79
近代国家形成の過程で、神道国教化政策が採られ、民俗信仰が抑圧されていく。神仏分離とは、それまでの混沌とした民衆的信仰形態を、神道の元に一元化していこうという動きであり、そこでは民衆の日常的生活にも多大なる影響を与えたという。

本書では維新以前の江戸期の排仏論、キリシタン禁制などを参照しつつ、宗教という国家にとっての厄介な代物についての分析から始めている。本書はその意味で宗教と政治の微妙な関係の歴史でもある。

著者は、明治政府が王政復古を打ち出した理由として、クーデター政権であった維新政府が自身の権威を正当化するために、幼い明治天皇を擁立し神権的天皇制のイデオロギーを利用した、という。ここで、あくまで神道を政治利用の手段とした政府の中心人物たちと、復古の幻想を抱く国学者神道家たちとのあいだには、温度差があった。この差は、じっさいに神仏分離令の運用の場で、政府と神道家たちとのあいだの対立を招いている。

慶応四年の神仏分離の諸布告で、神道家の急進派の集団が日吉山王社に押し入り、力づくで廃仏毀釈を実行するという事件が起きている。この事件は、政府にとっても尚早であり、また民衆にとっても恐怖と不安を植え付ける結果となった。神仏分離政策においては、国学などの隆盛もあって、それまでの仏教上位の環境に対する強い不満を抱く神道家と、過激な展開を望んでいるわけではない政府と、宗教生活の転換に直面する民衆という三者が存在している。農民たちは神仏分離のなかで自らの生活の土台の変化におびえ、山門擁護のために蜂起するなどの事件まで起こしている。

初期の時点では神仏分離を速やかに推進することができたのは、一部の神道系の勢力が強いところに限られていた。

また、仏教側では、政府の一連の政策に危機感を抱いていたが、そのとき政府に対して、仏教はこれまで民衆教化の実績があるから、神道を基本とする教諭を行うこと、キリスト教から民衆を守ることなどの役目を国家から承認されることを求めている。

その後、神仏分離廃仏毀釈政策が進展していくなかで、民衆生活において起こったことを、著者はこうまとめている。

廃仏毀釈は、その内容からいえば、民衆の宗教生活を葬儀と祖霊祭祀にほぼ一元化し、それを総括するものとしての産土社と国家的諸大社の信仰をその上におき、それ以外の宗教的諸次元を乱暴に圧殺しようとするものだった。ところが、葬儀と祖霊祭祀は、いかに重要とはいえ、民衆の宗教生活の一側面にすぎないのだから、廃仏毀釈にこめられていたこうした独断は、さまざまの矛盾や混乱を生むもとになった。そして、こうした単純化が強行されれば、人々の信仰心そのものの衰滅や道義心の衰退をひきおこす結果になりやすかった。
P118

廃藩置県によって集権国家樹立の基礎を固めた明治政府は、四年以降、近代的国家体制樹立のためのさまざまの政策を推進した。伊勢神宮と皇居の神殿を頂点とするあらたな祭祀体系は、一見すれば祭政一致という古代的風貌をもっているが、そのじつ、あらたに樹立されるべき近代的国家体制の担い手を求めて、国民の内面性を国家がからめとり、国家が設定する規範と秩序にむけて人々の内発性を調達しようとする壮大な企図の一部だった。そして、それは、復古の幻想を伴っていたとはいえ、民衆の精神生活の実態からみれば、なんらの復古でも伝統的なものでもなく、民衆の精神生活への尊大な無理解のうえに強行された、あらたな宗教体系の強制であった。
P142143
著者の民衆と権力という対立の図式が顕著で問題なしとは思えないけれども、大筋としてはそうなのだろう。各町村で行われた神社改めや、修験の中心地出羽三山神道化など、多くの信仰が大々的な改変を被り、各地の神社などでも習合的な性格の神格を無理に神道側に組み込んだり、それまでまったく祀られていなかった神格に変更したりするなどの政策が採られた。

詳細な事例は本を当たってほしいが、このような宗教体系の大きな改変が民衆の日常的な生活風景に影響を与えないわけがないだろう。神社数の大幅な減少はそのまま町村の風景を変えただろう。そして、広く行われた祭神の変更は、一種の歴史の忘却をもたらしたのではないだろうか。おそらく、近代から現代にいたる日本の宗教的なものに対する考えは、この時期の神道国教化政策と神仏分離廃仏毀釈の影響を強く受けているのではないかと思う。日本の伝統、と思われているもののうちのいくつかは、この時期に改変を被ったきわめて近代的なものなのではないか。

神道が宗教ではなく、儀礼、習俗とされたのも、外部からの圧力(キリシタン禁制はキリスト教圏の国から非難された)で「信教の自由」を認めざるを得なくなったときに、教派神道が分離するという流れでのなかでのことだった。国家神道神道非宗教説に立つが、「実際には宗教として機能しながら、近代国家の制度上のタテマエとしては、儀礼や習俗だと強弁されることになった。そして、この祭儀へと後退した神道を、イデオロギー的な内実から補ったのが教育勅語である」という風に、教化を伴うものであった。当時の政府が認めた「信教の自由」にしたところで、国家の秩序を脅かさない限りでという限定付きのものであり、神社崇拝という国教に背かない限りでのものだった。宗教が国家的に再編成された、ということだろう。

しかし、神道国教化政策、とはいっても、依然仏教の影響力、信者数、僧侶の数などなどにおいて、神道勢力は明らかに劣位にあり、神道の説教などもかなりの部分を僧侶がやっていたりするなど、名目的な位置と、じっさいの力関係はかなり食い違っていたようでもある。ここら辺が、一部の人間による廃仏毀釈の強行をもたらした不満、不安の源でもあっただろうと思われる。


ちなみに、安丸氏は「一揆・監獄・コスモロジー」のなかで、「国家神道」という言葉は、敗戦後アメリカが出した「神道指令」のなかの「State Shinto」の訳語である、ということに注意を促している。

なお、明治に復活した神祇官、神祇省などの省庁でも、国学者同士での勢力争いが存在していて、伊勢・天照大神派と、平田篤胤が提示した、大国主を冥界の神とする出雲系とが対立していた。この本でも出雲の国造、千家尊福が巡幸したとき、明治天皇のときのそれに匹敵する反応を引き起こしたことが書かれているけれど、そこら辺の詳しい事情は原武史の「<出雲>という思想」(講談社学術文庫)に書かれているので、興味のある方は是非参照を。面白い本です。

日本の中世についての三冊

最近読んだ本がちょうどよく日本の中世について、宗教、政治、法それぞれの角度から見たものだったので、まとめて紹介。

佐藤弘夫「神国日本」ちくま新書

神国日本 (ちくま新書)

神国日本 (ちくま新書)

日本中世思想を専門とする著者による、古代から近代にかけての「神国」思想の変遷の歴史を概観する思想史。

古くは「日本書紀」「古事記」での神功皇后新羅遠征の下りに見える「神国」が、時代ごとにいかに変容していったかをたどっていく。具体的には、昭和の「国体の本義」などがその「神国」概念の基礎に置く北畠親房の「神皇正統記」(ジンノウショウトウキ・atokで一発変換!)を読み直すことで、近現代のウルトラナショナリズムの旗印ともいえる「神国」が、じつは南北朝期、中世社会のなかでは、むしろ仏法という普遍を前提としたインターナショナリズムにつながるものであるという、一般通念を覆す結論を提示する。

この本の存在は以下のbk1でのブルース氏による書評で知ったのだけれど、なるほどとても面白い本だった。

「日本史上に大きな影響を及ぼした「神国日本」思想を斬新な切り口で考察!」

基本的な内容については上記リンク先を参照してほしい。本書のだいたいのアウトラインは押さえてあるので。

で、佐藤氏は中世の思想、とりわけ神仏の関係についての研究が専門であるらしく、本書での核心は、中世の神仏習合によって生まれた世界観にある。

通説では、仏の教えが効力を失い悪人が跳梁するという「末法」思想と、須弥山を中心とする仏教的世界観のなかでは日本など辺境の小島(辺土粟散)にすぎないという自己認識とが中世期の社会に広く共有されており、「神国」思想とは、そういった末法辺土の悪国であるという「仏教的劣等感」を「神道的優越感」によって克服するために説き起こされたもの、とされていた。

ここでは、神道と仏教とが相対立するものとして捉えられている。しかし、佐藤氏はこの二者は逆接するものではなく、順接するものとして捉え直す。つまり、末法辺土だけど神国、なのではなく、末法辺土だから神国である、と見る。つまり、末法辺土という自己認識こそが「神国」思想の根拠として存在すると論じる。

そこでキーになるのが中世の神仏習合の中核概念、本地垂迹説だ。それは日本にいる神々は、仏教での様々な仏が神の姿を借りて現れた権現であるという世界観だ。アマテラスの本地仏大日如来であるとかいうのがそれで、ここで、神道と仏教とがひとつのものとして形成される。

佐藤氏は、「神道的優越感」の表れであるはずの「神国」を主張する「神皇正統記」に日本を末法辺土だとする記述があることを指摘する。それではこれまでの通説に従うなら矛盾としか考えられなくなる。そこで、神仏習合本地垂迹説が意味を持ってくる。佐藤氏は中世での「神国」思想というのは、神仏習合的世界観のなかで、日本が末法辺土であるからこそ、仏が神の姿を借りて現れるのだ、という認識であったということを指摘する。

中世において広く共有されていた本地垂迹思想においては、神仏は基本的に同一の存在であり、そこでは「神国」と「仏国」とは排斥しあうものではないという。

インドや中国が神国でなかったのは、仏が神以外の姿をとって現れたからだった。/現実のさまざまな事象の背後に普遍的な真理が実在することを説くこうした論理が、特定の国土・民族の選別と神秘化に本来なじまないものであることはいうまでもない。中世的な神国思想の基本的性格は、他国に対する日本の優越ではなく、その独自性の主張だったのである。
P196197
本地垂迹思想を前提とした、仏と神との習合は、仏法という普遍性を獲得し、一国の絶対的優越を説くものでは全くなかった、というのが本書での重要なポイントだろう。しかし、中世的な世界観の後退にともない、本地垂迹思想は「神国」概念の根拠ではなくなっていく。幕末の対外危機が国家意識の高まりを生み、朝廷政権がそのバックボーンとして天皇を担ぎ上げ、神の末裔としての天皇が、神国の根拠となり、そこから仏教的影響が切り離されることになる。そして慶応四年神仏分離令が出され、それまでむしろ仏教こそが支配的だった日本の宗教体系が、一挙に神道色に染められることになる。

最初にあげた通説で、仏教と神道とが相対立するものであるという認識が前提となっていたけれど、おそらくそれは明治以降のきわめて近代的な観念なのではないかと思われる。本書で天皇すら、即位において仏教的な儀式(即位灌頂)をしていたことが指摘されたように、中世において神仏の境界はかなり曖昧だったようだ。

「神国」概念の洗い直しとして興味深いのとともに、中世期の神仏習合を知る上でもかなり面白い本だと思う。この著者のほかの本もそのうち読んでみる予定。


今谷明「室町の王権」中公新書

室町の王権―足利義満の王権簒奪計画 (中公新書)

室町の王権―足利義満の王権簒奪計画 (中公新書)

上記でリンクしたブルースさんの書評でも指摘されていたように、中世においては天皇は神孫として君臨したわけではなく、大寺院などとそれほど違わない存在となっていたという。

天皇はもはや国家そのものではなく、支配体制(荘園制支配)維持のために、国家を構成する諸権力によって祀り上げられた存在だった。より端的にいえば、中世の天皇は国家体制を維持するための非人格的な機関であり、手段にすぎなかった。
P178
この本では、天皇を廃絶し国王になろうとした足利義満の王権簒奪計画を叙述している。

元々、実権は武家が握っており、天皇は形式上将軍職を任命したりするという権威ではあったけれど、それはほとんど名目上のものだった。しかし、義満は、その形式においても自らが天皇よりも上に立とうとしたという。

本書では上述の叙任権をはじめ、祭祀権や元号改元への関与といった国内の権限を掌握していくのとともに、明の冊幇体制にはいることで、「国王」位を対外的に認めさせるなどの方策が、義満の地道な王権の簒奪計画であった、と論じていく。

じっさい、祭祀や儀礼の場などで、天皇の権威がどんどん低下していき、朝廷の人間までもが天皇をないがしろにし、義満の方をばかり向くようになる過程などが語られていて、説得力がある。

「今谷明.権力から権威へ」

上記リンク先によると、この本のタイトルは本来、「室町の天皇」であり、王権簒奪は皇位簒奪でなければならないのに、出版社の自主規制で、著者の意図は通らなかったようだ。

上記ページの下の方にあるのだけれど、本書へのコメントで、義満がこれだけやっても天皇を廃絶できなかった、ということは、天皇の権威がいくら下がっても大丈夫なほど天皇制という制度(レジーム)が強靱である証拠、というのがある。権力がなくても、権威がなくても、天皇制は存続してきたということだろうけれど、では、なぜ制度としてそれほど強いのか、という問題がある。まあ、これこそ日本史最大の謎、という訳なんだろう。この本を読んでみると、なんとなく、自己の権力の正当化を自身によってではなく、天皇という機関に担保させるという、権力と権威の分立がいい感じに相互依存してたんかななんて思いますね。


●清水克行「喧嘩両成敗の誕生」講談社選書メチエ

喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

これもまたブルースさんの書評で興味を持った本。ブルースさん、ありがとう! 面白いよ、これ!
簡潔に紹介しているブルースさんの書評。
「喧嘩両成敗という独特な法が生まれた背景を探る興味尽きない歴史書」

これ、裏表紙の煽り文が秀逸。

「中世、日本人はキレやすかった!」

と、冒頭で、金閣寺北野天満宮との間で、数人の死人を出し、時の権力者足利義教が出張ってくるほどの大乱闘事件が発生したことを述べるのだけれど、その原因は立小便を笑われたことだという。そのほかにも奈良の町の人混みで遊女に「比興の事」を笑われた田舎人が、その遊女はおろか遊女屋の主人まで殺害し、切腹して果てたうえ、その田舎人の支援者たちが奈良に大挙し、かなりの死傷者を出すほどの騒ぎになったことなどを挙げていく。著者はここに室町人の強烈な名誉意識と自尊心を見て取っている。

また、すぐ切れるというわけではないとして、敵討ちの事例にも触れている。幕府が定めた御成敗式目では禁止されていたが、一般的には容認されていた、むしろ、敵討ちを主張することで罪が軽減される傾向すらあったことが指摘される。そして著者は当時の法慣習について、こう述べている。

中世社会には武家法や公家法・本所法といった公権力が定める法が存在したが、その一方でそれらとは別次元で村落や地域社会や職人集団内で通用する「傍例」や「先例」「世間の習い」と呼ばれるような法慣習がより広い裾野をもって存在していた。しかも、それらの法慣習には互いに相反する内容が複数並存していることも珍しいことではなく、人々は訴訟になると、そのなかからみずからに都合のよい法理を持ち出して、自分の正当性を主張し、「〜と号する」のを常としていた。現代の「法治国家」から見ればアナーキーというほかない実態であるが、そうした多元的な法慣習が、公権力の定める制定法よりも遙かに重視されていたのが、この時代の大きな特徴だったのである。
P40
著者はさらに、当時のさまざまな紛争の事例を挙げていく。

これはいまでも了解しうることだけれど、当時、遺言を残して切腹することが究極の復讐法として採用されることがあったということが語られている。不満、遺恨の表現手法の一つとして、切腹がしばしば行われていたという。ここに、著者は、強い名誉と自尊心とがあることを指摘する。誇りや名誉は命より重いわけだ。

この誇り、名誉意識が、集団同士の争いが激化する原因としても考えられる。室町時代にしばしば起こった、集団同士の激しい復讐合戦は、このことと関連している。

著者はほかにも、当時の興味深い慣習をいくつも例示している。

ひとつは落ち武者狩りで、敗走した武将が荘民などによって略奪、殺害されることがしばしば起こっていた。室町幕府最後の将軍足利義昭も信長に京都を追放されてから、落ち武者狩りにあい、没落していった。この落ち武者狩り、当時において白昼堂々と、当然の行為として行われていたのだと、著者は指摘する。室町幕府の側も、比叡山の僧を見つけたら具足などをはぎ取るべし、などと近隣の村々に指示し、落ち武者狩りの慣習を利用して、敵対者の一掃を図ったりしていた。明智光秀が秀吉に敗れたとき、近隣の村人による落ち武者狩りにあい、命を落としたときも、裏には村々への落ち武者狩り指令のようなものが出されていたという。

ほかにも、都において大名が失脚したりしたとき、その屋敷に人々が押し入って金品を強奪すると言うことが、しばしば起こった。ひどいときには、失脚間近の大名の屋敷に、待ちきれずに白昼堂々と押し入ってしまうことすらあったという。さらに、当時の流罪というのが、流刑地までのあいだに、かなりの場合途中で殺害されてしまうことは常識であり、流罪というのが、権力自らが刑を下さないだけでほぼ死刑と同義であったということなどが語られる。

著者はこうした興味深い事例などを挙げつつ、室町幕府が、制定法による「公刑」を実現しようとしていたのと平行して、当時の自力救済の「私刑」も取り込まざるを得なかったことを示す。

中世社会においては、こうした形で法治主義とは異なる仕方で動いていた。

著者は喧嘩両成敗の下地になるものとして、次のような例を紹介している。

ある酒屋が、妻と密会していた男を「妻敵討ち」として殺害する事件が起こった。そのとき、その密会していた男というのが、赤松という侍所の被官であった。赤松が部下を殺されたことで、その酒屋に対する復讐をしようとしたが、その酒屋にも幕府重臣がバックについており、復讐を断念せざるを得なかった。しかし、収まらない赤松氏は室町殿、足利義政に訴え出ることになった。そこで採用されたのが以下のような判例だった。

――妻敵を殺害したうえで、一緒に自分の妻も殺害してしまえば被害の程度は同等となる。それ以外(赤松の言うように)本夫自身を死罪にして被害の程度を同等とするというのは、道理にはずれている。」

 彼ら法曹官僚たちは、けっきょく、当時の「常識」を曲げて妻敵討をした者を処罰することはできなかった。しかし、かといって「殺害の科」を見逃し、被害者側の感情を無視することは、もうひとつの「常識」からもできなかった。結果、彼らが独創したのは、妻敵討をした者は一緒に姦通をした自分の妻も殺害するべきだ、そうすれば加害者側も一人の愛する人間を失ったことになり、被害の程度は対等になる、という驚くべきものだった。
 なんといい加減な、そして、なんと女性の生命を軽んじた意見か。私たちなら唖然となるこの法曹官僚たちの「意見」は」、しかし意外にも、当事者たちには抵抗なく受け入れられるものだった。この判決に赤松側は納得し矛を収め、酒屋側は後日、妻を処刑してしまい、この事件は案外あっさりと一件落着となっている。それどころか、この幕府官僚たちの「意見」は、その後の類似事件を処理する際の「法式」として受け継がれ、なんと江戸幕府も三〇〇年間にわたり妻敵討に対する規範として、姦夫と姦婦二人の殺害を義務づけることになる。けっきょく、このときの室町幕府の判断は、形式上は明治時代になるまで、我が国で効力を持ち続けたのである。

P112113
ここで重要なのが、同等、という考え方でありこうしたバランスの取り方が広く共有されていたらしい。これを法制史的には「衡平感覚」や「相殺主義」というらしいが、当時としては「相当(アイトウ)の儀」などと呼ばれていたようだ。

この認識は、加害側も被害側と同等のダメージを負うべき、として復讐の論理にもなったけれど、復讐の行き過ぎを戒めるものとしても機能していた。さらに、ハンムラビ法典での有名な「目には目を」というのが、最近の研究では「受けた損害以上の報復を相手に加えることを禁ずる意図のもとに定められたものである」とするのが通説である、と紹介し、このような同害報復原則が、過剰報復の抑止でもあったと著者は言う。

喧嘩両成敗法の基盤というのは以上のようなものととりあえずはいえる。これ以上はちょっと長くなりすぎるのでやめる。重要な示唆として、戦国時代の分国法のなかでの喧嘩両成敗法には、相手の攻撃に対しての復讐を抑止する意味があったという指摘がある。復讐の連鎖を止めることが、この法の意義の一つだった。

本書は喧嘩両成敗そのものの研究と言うよりは、中世社会におけるさまざまな紛争とその解決手段がいかなるものであったかということを論じたもので、中世の奇妙な慣習の数々を実例を多数交えて解説していて、法の歴史としても、日本中世の社会状況の描写としても、非常に面白い。単一の法が支配する法治国家以前の社会で、いかに紛争当事者たちを納得させるか、という方策として、喧嘩両成敗法が民衆からも支持されていた、という指摘などは非常に興味深いものだ。当時の人々の名誉意識に照らして、どちらかが非とされることは、むしろさらなる紛争を生みかねなかったということだろう。当時としては合理的な暴力のコントロールだったんだろう。

しかし、喧嘩両成敗というと、「調和を重んじる日本人」などというイメージがついて回っているけれど、そうした形での「調和」は、なんらかの事件があったとき、被害者側にも落ち度があったはずだ、という認識にすり替わることがある。著者もメディアの報道状況について危惧していて、喧嘩両成敗的な認識がいまでもそういう形で根付いているとすれば、その「負の遺産」はあまりに大きい、と述べている。本書にも、喧嘩を起こしたこと自体を「穢れ」として喧嘩両成敗的措置を下した例が紹介されていたが、この場合の「喧嘩両成敗」と「調和」というのは表裏一体のものだろう。


ひとつ、本題以外で面白かったのは、日本では当然のように行われている、交通事故での過失相殺というシステム、これは日本と制定当時(1882)はオーストリアにしかなかったかなり珍しい制度だそうだ。

パソコンが壊れたりして更新が滞りすぎていた間に読んだ本とか。

ところで、笙野頼子の「徹底抗戦! 文士の森」の記事に、小谷野敦様からのコメントをいただき、少々訂正しました。ブログの方でも私の記事にリンクしておられるので、当人に間違いないようです。

http://d.hatena.ne.jp/junjun1965/20050710

小谷野様による笙野批判ですが、上記記事のコメントでも書いたように私は双方の元記事を確認していません。そのうえで書きますが、小谷野様による反論のいくつかには理解できるものもあります(「聖母のいない国」の批判的書評を引用して小谷野批判をすることについての批判など)。しかし、「明らかに大衆作家なのに純文学作家として振舞っている宮本輝高樹のぶ子」を笙野頼子が批判しなければならない理由がさっぱりわかりません。文学の基準の複数性を主張する笙野頼子が、上記の理由で作家を批判するとは思えません。小谷野様がそのようなことを主張しているのに、それを無視している、というのは笙野頼子がたんにそのふたりを批判する理由を持たないからだと思うのですが。

両氏が純文学全体に対する単純化したレッテル張りなどをしたというなら笙野頼子が二人を批判することも考えられますけれども、とりあえず私はそうした事実は知らないので、小谷野様による当該記述は、ただたんに小谷野様の批判基準を笙野頼子も当然採用しているべき、という無根拠な思いこみを前提にしたいいがかりに見えます。

それと、上記記事で私は「前、文學界の落語特集か何か(手元にないので曖昧ですみません)に小谷野様が落語を寄席などで直接聞かなくても論じることはできる、というような趣旨の文章を寄稿されていて、その最後に唐突に「アヴァンポップ」がどうとかいって、落語を知らずに日本文化を語るなというようなことを、揶揄したような調子で書いていたのを記憶しているのですが、ここでは笙野頼子を名を明示せずに批判していると取ってよろしいのでしょうか?」という疑問を提示したのですが、もうお読みになっていないらしく返事がありません。

まことに失礼だとは思いますが、ここは勝手に、小谷野様は、笙野の小説やエッセイに彼女が京都にいた頃寄席などに通っていたという記述や何代目かの桂春団冶のファンであるというような記述などの「ウラをとら」ずに、思いこみで笙野頼子を落語を知らないのだと批判したと思いこむことに致します。(調べてみたら私が読んだのは、文學界2005年9月号の「落語を聴かない者は日本文化を語るな」という記事だった模様。いまだ私は再読しておりませんのでこの記述は誤解に満ちたものである可能性があります)

では、本題。

柄谷行人「世界共和国へ」岩波新書

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

岩波新書リニューアルの第一号。近所の本屋でかなり早めに本が減っていったのを目にして、柄谷行人初の新書書き下ろし(たぶん)ということもあってか、かなり売れてるんだと思った。

私は柄谷の本というのは、「日本近代文学の起源」、「内省と遡行」(これはさっぱりわからなかった)、「反文学論」と、「増補漱石論集成」を拾い読みした程度で、最近の動向などさっぱり知らなかったのだけれど、この本はかなり面白かった。以前、萱野稔人の「国家とはなにか」について書いたけれど、あの本は暴力という観点から国家を分析したものだけれど、柄谷のは経済、つまり交換ということを起点にして、歴史的かつ理論的に近代国家形成の過程を追っていく。

以前kawakitaさんたちと、労働、交換といったことについて議論をしたけれど、(本ブログの2006年3月頃の記事を参照)そのときの関心と見事に重なるので、より面白く読めた。

明晰かつコンパクトにまとめられた近代国家形成の歴史として、非常に興味深い本。

ただ、タイトルにある「世界共和国へ」という彼のプラン、武装を放棄する憲法九条を擁護し、国連のような国際組織に主権を委譲することで、国家間の敵対状態を解消する、というカントに基づくらしいプランは、やはりあまりかなえられそうなものには思えない。新聞でのこの本の広告で、柄谷行人は、絶望することはない、進むべき道は見えているのだから、というようなことを語っていたけれど、採用すべきプランがそれしかない、ということをかなり説得的に語るこの本を読むと、そのプランの実現可能性を考え落胆するしかないような気がしてしまう。


仲正昌樹「分かりやすさの罠」ちくま新書

アイロニーという概念をめぐって、哲学の歴史やロマン派の批評理論を紹介するところなどは非常に勉強になる。思想系だとたいがいフランスに偏るものだけれど、これはドイツ系の議論を重点的に扱っていて、面白い。これまで仲正氏のものは新書ばかり読んでいて、きちんとした理論的な本も読んでみようかなと思って探してみると、どれもかなり高いものばかりで諦める。

理論的な本論の部分については確かに面白いのだけれど、それ以外の部分には結構疑問符が付く内容ではある。右と左の二項対立について語るのはいいのだけれど、そこで批判的に例示されるのが左のみであることとか、本文中での自分の言説に対する批判への過剰な攻撃性など、どうにも妙だ。というか、新書ではすでに2ちゃんねるのことはなんの説明もなく使っていいものになったようだ。

以下、この本の「語法」について批判的に私の感じたことを書く。書いていてかなり批判的になってしまったけれども、この本の理論的な部分は整理されていて明晰で面白いので、興味のある人はどうぞ。少なくとも、後述する北田暁大の本よりは私には楽しめた。

純化して要約すると、ある人の言説がその形式において語っている内容を裏切っているというアイロニーを批判するのが、自分の批評なのだと説明する本なのだけれど、この本に通底する左翼批判を読むと、著者自身が右左の二項対立に嵌っているではないかと思えてしまう。

しかし、だからといって右に利する言論だと批判するのは狭量というもので、左翼、リベラルにとっての口に苦い良薬として考えればいいとは思う。それでも、座談会に出席したときは変なことはいわなかったけれど、雑誌になったときにそのときいわなかったことを付け加えられたのであたかも自分が八木秀次の主張に同意したようになっている、というようなことを仲正氏はどこかのブログ述べていたけれど、その八木を本書ではほとんど批判していないというのはどうなのか。生き生きしている左翼は批判するけど、生き生きしている右翼は論外、ということなのだろうか。八木こそ、「生き生き」とジェンダーフリーをバッシングしている人に見えるのだけれど。

それとは別に、ここで仲正氏が主張しているアイロニー的な批評、というのは一種の語法批判だと言っていいのではないかと思う。このやり方の最大の問題点は、中心的な議題についての議論を棚上げにして語ることが可能だと言うことだ。仲正氏は、分析対象の「直接的意図」を「必ずしも真に受けなくていい」ことが、アイロニー的批評の「メリット」だと書いている。

しかし、これは誰にでも何がしかを語ることを可能にさせる方法でもある。私は、そうした形でなされる議論は正直不毛でしかないと思う。何について論じられているのか、ということを棚上げにして論じ方だけを問題にするやり方は、一定の効果はあってもそれ以上のものではないと思う。何をどう論じるのかとか、その事例を語るのにその語り口は有効かどうか、といった視点から語るならまだしも、論じられている当の主題を無視することを「メリット」と語ってしまうような批評的態度なるものには、とうてい賛同できない。それって結局2ちゃんの煽り合いみたいなものにしかならんじゃろ。

また、この本自体が、右左の語り方だけを問題にしてしまっているという点で、仲正氏が批判しているはずの右左の対立軸を強化しているようにも見える。

ここで思い出すのが高橋秀実の「からくり民主主義」だ。この本ではメディアによる二項対立に疑問を持った著者が、その現場に赴くことで、メディアでなされる二項対立の虚構性を、具体的な事実の提示によって批判していく。実際の問題というのは、容易に右左の対立に回収されるようなものではないということを示すそのルポは、左右の二項対立を超えたところで問題を再設定すべき状況の存在を強く印象づけられた。

あ、ジェンダー関連で言えば、赤川学「子供が減って何が悪いか!」(ちくま新書)なども、アイロニー的批評でありつつ問題を具体的に再設定する優れた仕事だと思う。

これと対照的な例が内田樹で、彼はメディアやら本やらからの断片的な情報を元に、アクロバティックな仮説をぶちあげて物事を論じることがある。そしてしばしば語法をつつくことで仮説を立てることが多いのだけれど、そういった断片的な情報の語法批判、という手法がいかにでたらめな議論を導いてしまうのか、ということは以前にしつこく書いたので繰り返さない。内田氏については、仮にも学者なら、自分が何について語ることができ、何について語ることができないのか、という最低限の倫理くらいは持っていてほしいと思うだけだ。内田氏のように妄想で対象を論じたりしない分、仲正氏はまともだ。

内容にかんする吟味を欠いた語法批判というのは、内田樹的な何に対しても何かがいえてしまう、つまりは何の意味もない言論になりかねないのではないかと思う。

仲正氏は、対立軸の固定ぶりを批判するものの、その対立を生み出している当の論題(ジェンダーフリーなり新自由主義なり)について全く触れずに論を進めているせいで、それこそ傍観者が嫌味で口を突っ込んでいるだけのように見えてもおかしくないような議論をしているのではないか。そういった態度が「右傾化」と批判されたのであって、単に鼎談に出席しただけで、とか、左翼連中の語り口を批判しただけで、批判されたのではないんじゃないか。

私としては対立軸を構成する論題についてきちんと論じることで、その対立軸の無効性を証明するような議論をしてほしいのだけれど。

そもそも、アイロニー的批評は「自分の立ち位置」を見直す契機になるというようなことを書いているけれども、そのアイロニー的批評を仲正氏自身にも適用しているようにはあんまり見えない。自分を批判する人たちの知性を少なく見積もったような批判の仕方や、2ちゃんねるやブロガーたちへの「ワン君」がどうとか「パブロフの犬」だとかのレッテル貼りなどをみると、そう思う。

というか、仲正氏は「生き生き」批判だとか、「二項対立」批判だとか自分の態度を普遍化したり正当化したりしないで、単に私は左翼が嫌いだから批判するのだ、とでも言えばいいのに、とは思う。そうでもなければ、メディアリテラシーと言って自分の態度を中立的だと装いながら、批判するのは朝日新聞だけ、みたいなネット右翼とどう違うのか。


北田暁大「嗤う日本の「ナショナリズム」」NHKブックス

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

この本の著者が上記の仲正氏と対談イベントを開いた後、ブログ上でかなり騒ぎになったのはある程度見たけれど、問題の八木秀次小谷野敦仲正昌樹の鼎談記事というのは読んでもいないので、よくわからない。

この本自体は、七十年代の連合赤軍事件の「総括」を起点として、ここ三十年間の「反省」の歴史を概観するというもので、著者によると八十年代論でもあるとのこと。しかし、私にはよくわからない。そもそも、出現する固有名詞のほとんどが私には縁がない。同世代的にはいろいろ思うところもある本なのだろうけれど。

この本は一種の2ちゃんねる論でもあって、2ちゃんでのやりとりなどに見える「右傾化」はアイロニー・ゲームのなかで偶然的に選択されたものでしかない、という感じの議論を展開していて、それは確かにそうなのだろう。時代が時代なら、2ちゃん的な場で「左傾化」が生じたかもしれないとはいえる。だから、「右傾化」を思想問題として論じることは意味がないというのは私も思う。

ただ、私はこの本での議論より、笙野頼子の近作での分析の方に説得力を感じる。笙野の「絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男」や「だいにっほん、おんたこめいわく史」等で展開されているモチーフの一つは、「傷つきたくない男たち」とでも呼びうる男たちについての分析で、この分析は2ちゃんねるについても非常によく当てはまるものだと思う。

右翼的な言辞を弄する人たちというのは、思想としての保守などではなく、たんに自分たちが批判されるというのがいやなだけで、だからこそ戦争犯罪の数々を虚構なのだと主張したりするのではないか。朝鮮、韓国、中国などへの反感というのは、加害責任を問われるということそれ自体を、「被害」だと感じることから生まれたものでしかないのではないかと思う。笙野頼子が分析するのは、そういった、加害当事者でありながら、自分を被害者だと自称することで自分の行為を正当化するメンタリティでもある。

まともな紹介としては以下を参照。

梶ピエールのカリフォルニア日記。
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20050331
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20050410
吟遊旅人のつれづれ
http://blog.livedoor.jp/pipihime/archives/24789051.html

梶さんが、「2ちゃんねるシニシズムによる「悪意あるツッコミ」は、一件脈絡がないようでありながら、「朝鮮人」「中国」「部落」「戦争責任」「フェミニズム」といった、80年代的なアイロニズムの雰囲気の元では「重過ぎる」として言及が避けられる傾向にあった「社会的弱者」あるいはそれをめぐる「学校民主主義的」言説への違和感」がある、と書いている。

「学校的民主主義」は措くとして、上に書いたように、「社会的弱者」への攻撃が激化するのはわりと単純にそれが自分たちを責める存在だからだろうと思う。もっと言えば、何かしらの異議申し立てそれ自体への嫌悪。申し立てる、というか、申し立てられることへの嫌悪、と言い換えた方がいいかもしれない。

左翼的な言説、というのは基本的に社会的弱者の救済という側面がある。そこで問われるのは普通の社会に暮らしている「われわれ」が、その日常のなかで何かの抑圧に荷担していないか、ということだ。しかし、たとえば戦争犯罪などに関して言えば、一国民として応答するという形での右翼的言説もあり得るはずなのに、そうではなく、犯罪事実そのものの抹消を志向するのが2ちゃんねるで、彼らは責任を問われたくない以上、右にしろ左にしろ、一貫した思想を持つ、というような主体的選択をするわけがない。そういう選択には責任がつきまとうのだから。

また、2ちゃんねらーが攻撃する話題から、彼らの自画像もまた見えてくる。彼らが攻撃するのは、自分たちに責任を問う自分たちでない人たちであるのだから、朝鮮人でも、在日でも、障害者でも、左翼でも、また右翼でもなく、女でもない、『「普通」の男』というのがちゃねらーの自画像なのだろう。

笙野頼子の分析というのはまったく妥当だというしかない。


高原基彰「不安型ナショナリズムの時代」洋泉社新書y

日本の「右傾化」の構造的分析としてはもっとも説得力がある、かもしれない。この本での議論の主眼は、日本、中国、韓国における経済問題、あるいは雇用問題からくる、若年層の不安だ。

日本でもフリーター、ニートといった言葉で語られるように、雇用の流動化が激しくなっていて、会社主義の年功序列の安定した生活というものが幻想でしかなくなってきたことが言われている。正社員の数をどんどん減らしていき、流動雇用人口を増やすことは経済界の要請でもある。その中では個人個人が競争のただ中に放り込まれ、自分自身の能力によって糧を得なければならなくなる。

そのような状況下で、若者たちは先行き不透明感を持たざるを得ず、その不安感が、高度成長期の総中流の過去の日本というノスタルジックなナショナリズム的心情に回収されているというのが著者の分析。

その状況は日本だけにとどまらず、中国、韓国の経済事情にも触れているところが面白く、各国の若者をめぐる状況を、通俗的な若者論に陥らずに論じている。各国ともに、グローバル化などの影響もあって、雇用の流動化が非常に顕著に現れているという。本書の議論は、経済、雇用の側面からみた三国の歴史的状況のなかで、若者がどのような現実に立ち会っているのか、ということの分析で、ナショナリズム問題というのはいわば傍論としてある。

本書での、「右傾化」自体を批判するのではなく、若者が陥っている経済的苦境にこそ目を向けなければならないという見解には同意できる。しかしこの本では「右傾化」現象を若者のものと考えている節があるけれど、はたしてそれはどうか。

また、「右傾化」する若者たちは自己疎外に陥っているというようなことを著者は言っているけれど、それで思い出すのは、外国人による犯罪が増えている、と騒いで日本を外国人から守らなければならないというようなことを主張する人を見かけるけれど、安価な労働力を調達するという経済的な要請のうえに外国人が求められているのであって、もし「国益」という言葉を使うのなら、外国人排斥というのは明らかに政府やら経済界やらの「国益」に反する主張だなあ、と思うことがある。これがアイロニーってやつですかね。