「壁の中」から

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後藤明生「八月/愚者の時間」2

●引用が始まる

後半の短篇群は五つあり、一番最初の「愚者の時間」は、九州での友人Tから、筑前邪馬台国説を論じた本を送られたことから書き出されている。自分の筑前「帰省」と、友人Tの思い出などを語りながら、植民地暮らしの人間が筑前に馴染みきれないことを描いている。そのTもまた筑前に馴染みきれなかったひとりだったのだけれど、それが筑前邪馬台国説を語り出す、というその不思議さに戸惑う様子が印象的だ。自分もまた彼と同じかも知れない、いややはりちがう、という述懐がある。

「チクゼン仲間のTが、筑前邪馬台国説を夢中で喋っていることが不思議だったのである。いったい何が、彼を夢中にさせてしまったのだろう、と思った」P162

植民地帰りの人間が、筑前ことば(チクゼンをチクジェンとなまるのだが、それが難しいらしい)になじめず、バカにされるというエピソードは繰り返し出てくる。「チクゼン仲間」とは、土地の訛りを習得できなかった同士ということだ。これは「挾み撃ち」でも出てくるし、「四十歳のオブローモフ」でも出てくる。ここでは、そこに筑前の友人Tをおき、以降の朝倉連作の枕にしている。

次が「綾の鼓」と「恋木社(ゴウノキシャ)」の二篇で、タイトルは謡曲「綾鼓」にちなんでいる(実は、書かれた順を確認すると、「愚者の時間」はこの二篇のあとに書かれている。「恋木社」と「愚者の時間」は同じ月に出た雑誌にそれぞれ発表されたのだけれど、内容から見てそうだろうと思う)。

「恋木社」というのは、「綾鼓」のなかで、綾で張った鳴らない鼓を掛けた木のあとのことで、それが社になっているものらしい。二篇を通じて、朝倉にまつわる謡曲「綾鼓」が出て来る。もともと謡曲が出て来たのは、それが後藤明生の父親が「紅葉狩」と「鞍馬天狗」を子供時分の後藤に手解きしていた(というか、読書指導)ことが、彼の記憶に残っているからである。福岡に帰省した際、同級生の古賀と竹井という友人と一緒に宴会をやっているとき、とつぜん「綾鼓」が出て来た。古賀がいま始めたところなのだという。そしてそれが朝倉を舞台にしたものだと知る(「綾の鼓」の最後で、語り手が「綾鼓」を読み、なぜそれを自分に教えてくれなかったのか得心するシーンがあるのだが、何度読んでもどうして語り手が納得しているかが私にはわからない。何か致命的に読み落としていると思う)。

「恋木社」は後日譚というか、「綾の鼓」の続きで、古賀兄が死んだという話を受け、未亡人が東京でやっている酒場の話や、祖母の墓の在処を覚えていないと言うような話が出て来る。ちょっと興味を惹かれたのは、「綾鼓」を三島由紀夫が書いているという話。「近代能楽集」に入っているという。そしてその次に「雨月物語」の「吉備津の釜」の話が出て来る。両方とも復讐譚であるということで繋がっているふたつだけれど、それはまた後回しに。

この二篇は上記のように、福岡への帰省と謡曲「綾鼓」、そして自らの朝倉への微妙な関係とがテーマとなっていて、初期の「三部作」(と中公文庫の帯には書いてあった)「夢かたり」「行き帰り」「嘘のような日常」と似た作風に見える。決して帰属し得ない本籍地の不思議さが、ちがうものにスライドして語り手の目の前に現れる。ここでは父の謡曲がそうで、「鞍馬天狗」の本を買い求めた語り手は、「わたしは父の遺品を買ったような気がしたのである」と思う。

「ただ、いまここにこうして『鞍馬天狗』があることだけで充分だった。それだけで充分に不思議だった。そして、その不思議さだけが現実だったのである。」P172
父の記憶が、こうやって目の前の「鞍馬天狗」の本にスライドする。それが不思議に思えると語り手は考える。おそらく、この感覚がこの次から始まる「引用」を駆動しているのではないか。不思議、謎、疑問符に駆られて、語り手は読みはじめる。

このあとに置かれている「針目城」「麻デ良城」(デは“低”の字のにんべんがない字)と続く短篇は、まるっきり上記のものと作風が変わってしまう。短篇の内容のほとんどが、何かを読むことに費やされるようになるのだ。