国家による宗教の利用法・あるいは自我の発生史――義江彰夫「神仏習合」
- 作者: 義江彰夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1996/07/22
- メディア: 新書
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本書の問題意識、というより、読みながら私が念頭においていたことはとりあえずこうまとめることができると思う。
・古代の王権における租税制度等の正当性を担保するものとしてどのように宗教が利用されたのか。
・教義を持たずもっぱら共同体の祭祀儀礼を中心とする土着の神祇信仰(つまり神道)と、理論的体系を備え普遍性を獲得した仏教とが、日本においてどのように相互浸透していったのか。
・領地の私有に発する罪の意識が、共同体のなかに埋没できない個人を生み出したとき、仏教がどのような機能を果たしたか。
●神宮寺の成立
神宮寺とは、神の身ゆえの苦しみから、仏教に帰依して仏となりたい、という神自身の託宣によって神社内部に作られた仏教施設のことを言うらしい。神が仏教に帰依したいというのだから驚きだ。もちろんその託宣の背後には、地方豪族らがおり、その託宣は豪族自身の苦悩が神の言を借りて表現されたものだ。ではなぜ、地方豪族らは仏教に帰依したいと願うのか。
仏教伝来は西暦538年、欽明天皇の時代のこと それから二百年ほどはさほど影響力を持たなかったという。
地方の村々の結合も、豪族の地方支配も、王権の全国支配も、呪術的で共同体的な神祇祭祀という点では共通しており、上位の権力は配下の社会の呪術的で共同体的な統合を、より強大な重力で統括していたということである。この支配と社会統合を支える宗教は、呪術的で共同体的であるという点で、ひとしく来世や個人の罪業の意識を持っていない。個別の土地私有がどこにもないこの時代の日本では、土地私有や社会結合の単位は共同体であり、そのようなところでは、個人の独立もその裏返しとしての私有・支配する罪の意識も、この世と次元を異にする来世があるなどという観念も生まれないからである。 |
55P |
所有と支配の欲望とそこから生まれる罪業の数々、これらを人間を堕落させるものとみなし、それらを払拭する苦行のすえに解脱の境地に達し、これらがまったく存在しない永遠の世界である来世を知る |
56P |
律令国家という王権のもとに国土と人民のすべてを直接的・集中的かつ効果的に所有できるシステムを作り上げることで、推古朝までにめばえていた所有と支配の罪の意識が王権と官僚貴族全般に一挙に拡がったからであった。 |
58P |
●仏教の意味
律令国家によって制定された郡などの地域社会において、租税を徴収するには、たんに租税法を制定すればいいわけではなかった。そこでは、地方豪族らは、自らが支配する地域をまとめる神にその地の名を与え、村々の長達を集めて豊年祈願と収穫感謝祭を行なって、神饌や新酒を捧げ、そのお下りを直会(なおらい)の宴会で分かち合っていた。
村の長たちは、ここで得たお下りとしての稲籾などを村に持ち帰り、村の祭りの献上物にまぜ込むことで大神の霊力の加護を喧伝し、その結果収穫され献上された初穂の一部を大神と地方豪族への貢納物として献上していたにちがいない・律令法の導入によって、建前は租・調・庸の収取という税法で彼らの支配は保証されたが、しかし、いかに地方豪族=郡司といえども、律令租税法だけで収取が実現できるはずはない。かくして、名目は律令法で飾られるものの、実質は国造いらいの大神からのその霊力の籠もった幣帛(稲籾など)の班与をふまえ、それに支えられた豊作の感謝としての初穂の献上というかたちの収取を継承・存続させていたのである。 |
66P |
律令国家は、村長や地方豪族が伝統的に築いてきた方法、すなわち祭祀のなかに支配の論理をすべりこませることを国家的規模で実現することで、はじめて存立しえたのである。 |
67P |
奈良時代半ばまでの地方豪族と配下の村々は、以上のような呪術的で未開な共同体社会であったからこそ、律令国家は、その共同体信仰としての神々を束ねて皇祖神の下に編成し、皇祖神の霊力の付与を代償として、初穂を名目とする租税を取り、国土と人民を支配することに成功したのである。 |
6768P |
こうして、当時の地方支配者達は、共同体的司祭者から、私的領主に生まれかわろうとしていたのだ。 |
73P(傍点を強調に変更) |
彼らは、長きにわたって神を祭る者としての立場を最大限利用し、私富の蓄積を行なってきた。そして、急速にその蓄積は進行した。その結果、神と村人のために仕えるという彼本来の任務は形骸化し、祭りは彼の私腹を肥やす手段に転落してきた。その勢いがあまりに急速なため、ついにこのギャップを無意識の奥底に眠らせておくことはできず、その現実を見つめざるをえなくなる。自分の行為が神の道に背く罪であり、神と村人の報復を受けて当然という自覚はこれゆえであった。 |
74P |
国家はそこで、離れてゆく支配者階級たちのこころと租税をつなぎとめるために、神宮寺を朝廷公認のものとし、そこへ租税を奉納することと引き替えに、彼らの私的土地支配を公認し、精神的後ろ盾を与えるという方策をとる。
かくして、八世紀後半から九世紀半ばにかけ、地方社会に神宮寺が登場することで、私的経営と支配を容認する論理と価値観が、上は王権から下は地方豪族・村長などを包む全社会的規模で日本を覆うこととなった。 |
82P |
●怨霊信仰
ここで著者は、政権争いによって太宰府に配流され、二年後に死んでしまう菅原道真を取り上げる。配流の恨みによってその首謀者や醍醐天皇の一族までが祟り殺されたという話があるが、これにも神仏習合がかかわっている。
まずその前に、神祇信仰の時代においては、霊魂を祀るといっても特定個人としてではなく、ある共同体祖霊の群れとしてであったことを確認する。
だが、奈良時代半ばまでに王権中枢部では、権力抗争の末に敗死した特定の者の霊が怨みを持って現われるという観念が生まれつつあった。 |
92P |
こうして、奈良時代いらい芽生えつつあった戦争敗死者の怨霊は、敗死させた個々人への贖罪と報復を求める社会的・政治的運動のシンボルへと発展した。そのさい、仏教とりわけ密教がそれを可能にする思想的媒体となり、それゆえに、陳謝する王権の側も仏教で対応せざるをえなかったのである。 |
95P |
御霊絵の震源は敗死者の遺族や共鳴する没落貴族にあったとしても、これを社会内の王権への不満と結びつけ、右のような独特な法会にしたてる役割をになったのは、崇道天皇いらいの敗死者遺族らの心情に呼応してきた密教僧であったといえよう。社会に潜在するマジカルな災禍観念を密教の贖罪と報復観念に結びつけることで、被害者たちの限られた怨念から、一興に反王権的社会運動に盛り上げていったのである。 |
97P |
著者は、奈良時代末の御霊信仰と神宮寺建立などの動きは、社会的背景を共有した出来事であると整理する。「私的領有の生成と王権のそれへの対応」が、その中心的な背景となる。
しかし、多くの王権への反乱が失敗に終わるようになると、密教は次第にもともと持っていた王権擁護の側面を強く打ち出すようになる。そのなかで、あれほど猛威をふるった道真の怨霊も、天神として国家擁護の神として取り込まれてしまう。
この次にケガレ観念に触れたところがあるのだけれどそこは飛ばして、最後に本地垂迹説に触れる。神宮寺の建立は日本在来の神が仏教に帰依することを背景としたが、本地垂迹説は、それを仏教の側から包摂しようとする論理だ。wikipediaによると、本地垂迹説とは、日本の様々な神は、仏が化身として現われた姿であるとする考えであり、権現とは仏が神の姿を纏って現われることとのこと。
こうした神仏習合の段階が力を持ってくる背景は武家社会の成立と密接な関係にあり、王朝権力がそれまで用いていた殺生を忌むケガレ忌避観念では、権力を握れなくなって来るらしい。ここらへんは私にもよくわからない部分なので、著者による整理の部分を引用してお茶を濁すことにしたい。
武家と幕府が、ケガレや殺生を事実上肯定する論理を仏教の力で獲得したとすれば、王朝国家と寺社勢力が受けた打撃はただならぬものがあった。とすれば、王権は従来以上にケガレ観念にとらわれずに、寺社勢力と固く結合して王法の支えとして仏法をより前面に押しだし、武士をはじめ多様な身分が各々信仰する神仏習合の神々を伊勢神宮を筆頭に全国的規模で再編成し、ひとつひとつをその本地をその性格に応じて確定し、各地の神々をすべてこれら仏・菩薩の垂迹として説明しつくし、また王権神話自体を仏教的に改造するという実践が必要になってくるのは、必然であった。そうしないかぎり、八幡や天神をテコとして仏教をも支柱のひとつにしはじめていた武士、そしてその影響下の人々を精神的に再編成することなど不可能だったからである。 |
196P |
●てきとうにまとめ
私は古代日本史にまったく詳しくはないので、議論の細部までカバーはできていない。重要な単語である律令国家とか地方豪族とかについても不案内なので、議論の紹介において誤った要約をしている可能性がある。また、大乗と小乗とか、浄土宗がどうとかの仏教の派閥間の対立などについては、ほぼ全部カットしてあるので、詳細は本に当たってほしい。ここで私が興味深かったのは、人びとを掌握し租税を取り立てようとする国家権力がどのようにしてそれを達成したかの方法と歴史だ。それは同時に、民衆のあいだで広まっていた神祇信仰、土着の神々が、いかに国家による再編成を被ったかということでもある。
本書が扱っているのは、七、八世紀ぐらいから、十四、五世紀あたりまで、つまり奈良平安から鎌倉時代の終わりあたりまでで、著者にとってはその間の時代は宗教が国家にとって必要不可欠であった時代で、室町あたりになると国学などの合理主義的な考えの台頭により宗教と国家の関係の現れである神仏習合はその役割を終える、という認識のようだ。
また、国家による利用とは逆に、この本では古代、中世期における自我の発生もまた核心だといえる。儒教の受容の影響を受けた所有による私の確立と、それに伴う罪の意識。その苦悩が仏教への帰依をもたらす。神祇信仰が仏教を取り込まざるを得なかったのは、私=自我の問題に神祇信仰は応えることができなかったからだろう。共同体的な祭祀が基本である神祇信仰は、個々人の問題に関知できない。怨霊が特定個人の怨みとして現われるのには、自我の発生を待たねばならなかった。
本書はそうした国家と自我のかかわりを宗教を手だてに探っていくきわめて興味深い試みだ。著者自身がもともと、経済、政治の専門であって、宗教は専門ではなかったというところは良い方に作用していると思う。この人の新書ではなくもっと本格的な論考を読んでみたい。
●萱野稔人と読む
- 作者: 萱野稔人
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「国家とはなにか」での興味深い指摘として、「所有が確立するためには国家制度を介在しなくてはならない」というものがあったが、本書ではそのような私的所有の国家公認の歴史に触れている。また本書での核心は国家による税の取り立て方なので、富の我有化を国家の基底に敷く萱野の国家論ときわめて相似の議論がなされている感がある。
本書では所有によって仏教的な苦悩を抱える自我が発生するという議論をしているのだけれど、萱野を介在させると、国家による所有の確立と自我の確立はきわめて密接な関係にあるものだということになる。そう短絡できるかどうかは別として、非常に興味深い論点ではある。
●笙野頼子から読む
- 作者: 笙野頼子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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また、笙野が言う仏教的自我とは、この本で描かれたような自我の発生史を念頭においたものだと思う。古代国家体制下(笙野は律令制の崩壊と呼ぶが)における自我、仏教の影響を大きく受けた宗教的自我を、柄谷的な明治期の言文一致=内面発生メソッドに対抗する概念として提起するのが笙野の戦略だ。笙野が仏教的自我というとき、それは国家の統制を逸脱してしまう本質的に反体制的なものとして考えられているのではないだろうか。「金毘羅文学論序説」でも、国家ばかり問題にし宗教を黙殺する文芸批評に憤っていたが、それは私的、個人的な営為である宗教の問題を無視する態度への批判なんだろう。
「神仏習合」は笙野の宗教にかんする問題意識がどこにあるのかについて、非常に参考になるものだと思う。「金毘羅」、「水晶内制度」、「おんたこ」などと国家・宗教・私の関係を問うた作品群は、ここから読み直すことができるかも知れない。