「壁の中」から

むかしblogtribeにあったやつのアーカイブ

再度「Gunslinger Girl」について・3

承前

私からすれば、夏葉さんや幾人かの人の言うことは、作品事実にのみ即していて、それがどう語られているか、という点についてを無視しているように見えます。しかし、作品を読むということは、何が書かれているかも重要ですか、それと同じほどにどう書かれているかもこみで受け取ることであるはずです。

もうこうなってくると「作品」をどう読むかの点で話があわないかもしれないんですが、もうすこし続けます。夏葉さんはこう書いています。

義体化そのものの是非があまり問われない事に関しては、それを徹底的にやってしまえば作品を終わらせるしかなくなるからという理由と、義体化が悪であったとしてもその事と現に目の前にいて愛情を求めている義体少女にどう接するかは別の問題だからだという理由があるかと思います。
 自分で義体にしておいてあれは悪い事だったので今君を愛してあげる事はできません、なんてのは無責任もいいところでしょう
第一の理由について。
義体の是非を問うというこがすなわち、作品の物語のレベルで、義体の取り扱いそのものが終わらせられるということとイコールになっていますが、これこそ、私と夏葉さんの作品を論じる水準が全く違っていることの証左です。

私は、「悪を書くならそれが悪でないかのように書くのは欺瞞ではないか」と言ったのを、夏葉さんは「悪を題材に書くな」という発言だと受け取っている。それはそのまま第二の理由についてもいえます。義体の是非を問うということは物語の内部でしかできないなどということはありません。物語・作中事実の水準で正当化されていることを、語りの水準で(つまり、読者にどう伝えるかという方法において)は、正当であるとも不当であるとも語ることは可能ですし、それは漫画でも小説でもごくあたりまえの操作です。人種差別を当然のごとく行っている人間を描くにしても、人種差別を正当化しようとする人はそのように、差別を批判する人間は諷刺的に描くし描けるわけです。諷刺やアイロニーというのはそういうことです。アイロニーを効かせることで、義体を描きつつも批判的に語るなんてことは普通の技術でしょう。私が最初からずっと主張しているのはその問題です。なぜかそのことがまるで理解されていない気がするんですが。

だから、ここで、
http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20060106

「フランカがそもそも敵役で、殴られたり撃たれたりしているのが批判であり相対化であろうとは思います」と書かれているのが私には不思議なんです。作中で殴られたり撃たれたり、敵役であるかどうかなんてことはまるで問題ではありません。敵役のほうがむしろ作品全体に沿った(=作者の主張と見なしうるような)主張をすることなんて別に珍しくもない。問題になるのは、フランカの主張=価値観に対置させられるような主張=価値観を誰かが提示するかどうかです。「ガンスリ」では、「スペイン広場でジェラートを食べるアマーティのバイオリンケースを抱えた正しい発音のイタリア語をしゃべるかわいい女の子」は幸福であるし、じつに良いものであるととらえられているのは読めば明らかです。まあ、「プチブル的本質」ですね。私の知人なんかは、このイタリアには観光パンフに載ってる場所しかないんだな、と言っていたようなことは、やはりこの作品の特徴的な点です。「上品」、「美的」な、オシャレな中流階級的なものを良しとするような価値観に対する疑いが見られない。これは最後にリンクしているガンスリ紹介サイトで、管理人の人が「ガンスリ」には「障害者=不幸」という図式が前提されているように感じられると発言していることと通底していると思います。

フランカについて補足すると、彼女は「五共和国派」に対してはわりと距離をとっていますし、スペイン広場のエピソードのラストでの台詞「彼女たちこそ私たち「五共和国派」が守るべきもの」というのは、スペイン広場を爆破しようとしたエンリコおよび、その援助を指示した上層部に対する皮肉になっています。フランカは五共和国派だからお嬢様を良しとする価値観の持ち主とは単純にいえません。まだしもフランカ=カテリーナの個人的思い入れというほうが妥当ではないでしょうか。ただ私は「プチブル的」価値観への疑いのなさが現れた場面だと思っています。

それにフランカは、人質をすぐには殺さなかったり、スペイン広場を爆破することを快く思わなかったり、彼女の過去やらを語られることで、むしろ作品的にはいい人(または、読者の共感を得やすいキャラ)として描かれます。フラテッロの連中たちにくらべても戦う個人的動機がはっきりしているうえ、自分自身が戦いに参加しているので、読者によってはフラテッロたちよりもフランカたちの方に肩入れする人も多いんじゃないかと思います。ただし、フランカたちの動機はきわめて個人的なもので、テロに与する社会的、政治的主張が込められているわけではない。しかし、ガンスリではだからこそライバルとしてキャラが立ち上がってくる。トリエラ・ピノッキオの対決にしても、それは結局は個人的なライバル関係でしかないわけです。政治的・社会的動機は物語のなかに決して浮上してこない。テロ対策を旨とした組織のはずなのに、テロに対してなんらかの考察や踏み込みが全く認められない。

高橋直樹さんがガンスリについて
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20060107#p2

テロリズムやらイタリアの民族問題やらに特別深い洞察や見解を示しているわけでもないし、SF的な興味をそそるものでもない、ごく普通にセンチメンタルな萌え作品だから
と書いているのは全くその通りといえます。そして、繰り返しますが後段の「ごく普通にセンチメンタルな萌え作品」というところに問題の焦点がある。ただの「ごく普通にセンチメンタルな萌え作品」だったらそれはそれでいいんですが、ガンスリは少女を薬で洗脳したり、テロ対策の暗殺者に仕立て上げたりという、明らかに「ごく普通にセンチメンタルな萌え作品」が踏み込むにはシビアすぎる領域にふみこんでいるのにもかかわらず、そのシビアな領域に踏み込むことについての意識が足りなすぎる。むしろ、そのシビアな領域を安易に「ごく普通にセンチメンタルな萌え作品」の構成要素として引っ張っているだけに過ぎない。そんな無思慮は許されんだろうと私は考えるわけです。

とりあえず作品についての私の基本的スタンスは以上の通りです。
ただ、いくつか気になる発言がありましたのでガンスリとは直接関係ありませんが応答します。

高橋さんはまたほかにもこうも書いています。

なにしろガンスリは良く出来ている。作品内論理としては、完璧に理論武装がされている。ここまで周到に用意された上で、「設定上そうなるより仕方が無かった」と言われてしまったら、「そんな設定をするお前が嫌いだ」「そんな設定を喜んでるお前らが嫌いだ」以外に言ってやれる言葉は無い。それはもう作品批評じゃない。
また、夏葉さんは
作品内の事象への倫理的な批判は作品内にきっちりエクスキューズがあるので多分無理なのではないか。
と仰っていますが、私としてはともに面食らう主張です。

特に、作品内にエクスキューズがあるから批判ができない、なんていう主張には驚くほかありません。それはいったいどこの世界での話なんですか? 作品内にエクスキューズがあるならあるで、そのエクスキューズがどう機能しているか、また機能していないかということを問うのが批評ではないんですか? 作品内で正当化されていることを批判することもまた批評のはずです。そのことについての私の考えは上記の通りです。物語世界をどう設計したか、とか作品がどう語られているかを問うのは別に作品論としてはふつうというかきわめてありがちなやり方だと思っていたのですが。

作中で非倫理的なことを題材にしているという点で、ナボコフの「ロリータ」を例にとると、「ロリータ」をロリコン趣味において否定、批判することは率直な感想としてはありです。しかし、「ロリータ」では、そのロリコン的欲望が素直に成就されることはなく、主人公ハンバートはむしろ少女ドロレスに翻弄される運命にあります。そして、「ロリータ」は、むしろハンバートの愚かしさを強調するように書かれてさえいます。だから、作品に沿って論じる立場からすれば、「ロリータ」(やナボコフ)をロリコン趣味を肯定するといって単純に批判するということは難しくなってくるわけです。このような批評、擁護の仕方はわりとポピュラーであると思います。そして、私が「ガンスリ批判」でとっている論述の手続きは上の「ロリータ擁護」で行っていることと変わりありません。作品を肯定的に見るか否定的に見るかの違いはありますが。

私は最初からいままでずっと単純な「作品内の事象への倫理的な批判」をしたつもりはありません。「作品内の事象」をエクスキューズを挿入することで正当化しようとする、または「事象」がまるで問題でないものであるかのように描くことをこそ批判しているのです。

やはりエクスキューズがあるから作品を倫理的に批判することはできない、というのなら、話は終わりです。作品を読む水準がまるで違う以上、対話が成立しないからです。というか、そもそもこの議論を続けても別に建設的な何かが出てくることもないだろうし、わりと不毛な感じがしています。



余談ですが、以下のガンスリンガーガールの私的なファンサイトでの作品評は、作品に対してきわめて好意的でありながらも、作品の欠点や変だと思われる点をきっちり指摘していて大変おもしろいので、うっとうしい議論してやがると思われた方はこちらを読むといいのではないかと。
たぶん、この人は私が感じているのと似たような嫌悪感を(特に原作に対して)抱いているのだろうと思われますが、それを誤魔化さずに作品を肯定しようとしていて、そこはとてもいい姿勢だと思います。最終的に作品を好きか嫌いかという点では意見が分かれますが、言っていること自体は理解できます。

GunslingerGirl私的紹介サイト

ここを見ると、アニメ版は私が特に問題視した点についてかなり手を入れているようにも思えますが、アニメまで見たりするほど時間を費やす気はあまりない。

しかし、俺長文で粘着しすぎ。