「壁の中」から

むかしblogtribeにあったやつのアーカイブ

メフィスト賞の人とか

あんまり更新しないのもあれなので、ちょっとまえに読んだ本の感想を並べてみます。否定的なもんばっかりですが。

森博嗣すべてがFになる

すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)

普段ミステリは好きではないのであまり読まないのだが、ものは試しとよく売れているらしいこの作者のデビュー作にして第一回メフィスト賞受賞作のこれを読んでみた。

一言で言うと「ヒドイ」

売れているというし、人気もあるようだから、まあそれなりに面白い小説ではあるのだろうと思ったら、ものの見事にひどい代物で、今更ながら売れることと作品の質には何の関係もないのだということがわかった。小説としてプロットが破綻しているし、物語を盛り上げたりドラマを作ったりと言うことがまるでできていないのに加え、作者が得意気に披露している理系的センスみたいなものがあんまりにも陳腐で読むにたえない。かっこつけようとしているが、思いっきり外している言葉の使い方が目立つ文章もひどい。
最初の数十ページでかなりげんなりしたのだけれど、知人が(このひどさを知るために)読めというものだから、最後まで読んだが、読み終わった直後思ったことが上の感想だ。

他にも、いかにもオヤジ臭い少女観がアレだったり、なぜかガンダムオタクの異性に興味のない女性がいたり、西之園なる探偵ものにおける秘書役のキャラの造形がおもしろすぎるとか、理工系とオタクの親和性の高さを思い知った。

小説はライトノベルしか読まないというオタク中学生がそのまま大人になったらこんなものを書くのだろうと思った。これと「撲殺天使ドクロちゃん」だったら、ドクロちゃんを読んでいる方が腹が立たなくていい。

解説で瀬名秀明が絶賛の文章を書いているが、なぜ瀬名がこんなに興奮しているのかがまったくわからない。小説としての出来を置くとしても、トリックやら発想やらになんもおもしろいもんもないこの小説にどうしてここまで入れ込めるのかわからない。「Brain Valley」をかなり前に読んだ印象をもとに言うのだけれど、瀬名はこの小説をそこまで褒めるほどつまらない小説を書いてはいなかったと思う。

この小説、ミステリとか良く読むという知人に読ませて感想を聞いたら、苦笑いで「だって、小説になってないじゃないですか」と身も蓋もない返答をもらった。

この小説を読んでから、私はこの作者を褒めている人のレビューや書評は疑ってかかることにしている。


舞城王太郎煙か土か食い物

煙か土か食い物 (講談社文庫)

煙か土か食い物 (講談社文庫)

口語を多用して饒舌に喋りまくる文体が特徴的な舞城のデビュー作。
これは、普通に面白い小説だと思う。書き出しからの口語と擬音語をとりまぜた文体はリズミカルで、かなり計算して書かれていることがわかり、この小説はちゃんとしている、と上の本を読んだばかりだったのでかなり安心した。

この人は基本的に漫画的な過剰に誇張された強烈なキャラクターと物語を、これまた誇張された語り口で強引に引っ張っていくという感じで、ある意味漫画的な小説ともいえるのだけれど、そのうち血縁・家族といった大時代的、というか古めかしいともいえるテーマを語り出していく。古いとはいっても、その家族、血縁関係の愛憎をかなり正面からぶち当たって最後まで突っ切ってくれるので、爽快感があっていい。

しかし、ミステリ的には核心であるだろう殺人とトリックの推理と解決が、あんまりにも投げやりにさっさと解決してしまうのはいくらなんでも、書きたいのは別に推理と謎解きではない、というのがあからさますぎて笑った。

ただ、基本的にこの手のセックスアンドバイオレンスな小説は好きではないので、他のを読む気はあまりない。

舞城王太郎阿修羅ガール

阿修羅ガール (新潮文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

とはいったものの、三島賞受賞の「純文学」作品であるらしいこれも読んだ。
「煙」は良い小説ではあると思ったけど、これは「駄作」か「失敗作」なんじゃないかな。

序盤の発端の物語部分と荒唐無稽な部分と幻想部分とがバラバラで、語りたいテーマみたいなものがあるのはわかるのだけれど圧倒的に説得力不足な気がする。というか、序盤でいなくなった友人って、見殺しでいいのか?
あと、子供を連続で殺された親の描写やその殺人者に共感してみたり、その辺のバランス感覚がなんか滅茶苦茶。とりわけ殺人者になんか肩入れしている部分なんかの記述はどうしようもない。

よく言われる女性一人称での文体だけれど、これ、数行読んだ瞬間に、「オヤジから見た少女の内面」を露骨に感じて、最初気持ち悪かった。言葉づかいの妙な硬さとか、無駄な饒舌に見えて計算高い舞城自身の文体のせいもあるだろうが、私はあまり成功したものだとは思えない。書き出しにおいて比べるなら「煙」の方がフックはあると思ったが。

筒井康隆三島賞選評で「ファンタジイ、実験、笑い」の三要素が自分にとっては現代文学の条件だといっている。しかし、「阿修羅ガール」はそういう現代文学っぽいものをことさらに書こうとして結果として小説としてちぐはぐになったように思える。

筒井康隆の選評を読み返してみたらこんなことを言っていた。

候補作品の中では唯一、ファンタジイ、実験、笑いというわし自身が勝手に設定した現代文学の三つの条件をクリアしているので、多くの難をかかえている作品ではあったが一番に推した。難のひとつはあまり面白くないことで、エンターテインメントとしてはさらに面白くないことになるが、ホラーとしてはなかなか怖い部分もあり、文学としては新鮮に思えた。
筒井がこれを推したのは消去法に近いようだ。それにしても「あまり面白くない」とは選んでおいて散々な言いぐさ。私は筒井康隆が買っている「現代文学」的な部分こそがつまらなかった。どうせなら最初の部分をきちんと普通小説っぽく進めていった方が面白いものになったんじゃないかと思う。