「壁の中」から

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後藤明生「壁の中」・3

個人主義荷風

やっと読み終わる。後半部分は永井荷風を架空の対談者に仕立てて、本人の前で永井荷風にまつわるさまざまな謎を追っていくという奇抜なもの。その荷風の謎、というのも多岐に渡り、かなり細かいところに踏み込んだ議論になっている。とはいっても議論が難解なわけではなくて、永井荷風を読み込んでいなくても追っていける。ただ、荷風がどういう作家なのかというちょっとした知識はあった方が良いかも知れない。まあ、私も「?東綺譚」くらいしか読んでいないのでたいしたことを知っているわけではない。それでも基本的に議論を追うのに苦労しないのは、その膨大な引用のせいもある。

後半部分で対話を行うのは前述の通り、荷風と、それまでの第一部で語り手であった「わたし」または「僕」である。この語り手の男は荷風と対話するために相当な準備をしているらしく、紙片を挟んだ「断腸亭日乗」全七巻をことあるごとにひっくり返して引用する。この「断腸亭日乗」が後半における主要テキストとなっていて、それに「墨東綺譚」や幾つもの小説を重ね合わせ、照らし合わせ、荷風という明治育ちの作家の輪郭を、後藤なりのやりかたで分析していく。

そこで重視されるのは荷風が昭和という時代の世相から距離をとり、しきりに批判していることだ。荷風というと、芸者街をうろつき、江戸の作家(為永春水?)らを愛し、フランス文学を愛し、おのれの趣味を堅持した孤高の作家というイメージがとりあえずある。その孤高の個人主義は、家族との関係をほとんど断ち切り、義絶した弟宅でなくなったという理由で母の葬儀にも参列しない、ときわめて徹底したものだった。と、ここで作中引用されている鮎川信夫荷風評をちょっと長くなるが孫引きしてみる。

「当時の私が、荷風の文学、あるいはその人間にひかれるようになったのは、荷風が「家庭の幸福」から徹底的に疎外された文学者であったことが、おそらく作用しているであろうと思う。(中略)私が『墨東綺譚』を読んだ頃は、荷風の日記のことは知らなかった。しかし時勢に背反し孤立しても常に自己の道を歩きつづけようとする一徹な個人主義の耽美の精神は、その作品からでも充分に感得することができた。(中略)それは、個人主義的な強い自我の主張というよりは、享楽に徹底した人間の、のっぴきならない、生き方として、そこに在ったのである。/荷風はそのような生き方を、永年にわたって、意識的につくり上げてきた。おそらく、それは「家庭の幸福」から疎外された文学者にしてはじめて可能な、といえるような性質のものであった。(中略)荷風が戦争期のナショナリズムと無縁でありえたのは、あるいはこのような家族に対する厳しい態度と軌を一にしているのではないか、と私は思う。日本人のナショナリズムは、一心同体的な家族意識とつながっていたから、それを断ち切れる人間でないかぎり、戦争期のナショナリズムと全く無縁の位置に立つことは容易ではなかったはずである」(「戦中〈荷風日記〉私観」)

個人主義を貫くにはそういった断ち切り、断絶が必要であったという。金を貯め「偏奇館」を立ててそこにひきこもり、日本や時勢に唾を吐く。この姿、前に書いた、ドストエフスキー「地下生活者の手記」の地下室人の姿に重なってこないだろうか? 現実世界のリアリズムに唾を吐くために、六千ルーブリの金で地下室にひきこもった地下室人と。